なお

バビロンのなおのネタバレレビュー・内容・結末

バビロン(2021年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

重要で長く続く何かの一部になりたいんだ。

第80回ゴールデングローブ賞にて複数部門にてノミネートされ、現在選考が進んでいる第95回アカデミー賞においても数々の部門にて受賞が有力視されている、今冬の注目作の1つ。

時代は1920年代中盤。
当時人びとの娯楽の中心であった「無声映画」が「トーキー映画」へ移り変わろうとしていた過渡期である。

栄光と挫折。
1920年代という、狂乱と狂騒の時代を生きた3人の映画人の姿を追った半フィクション、半ノンフィクションのヒューマン・ドラマ。

✏️バビロン
まず映画のタイトルにもなっている「バビロン(Babylon)」。
現在のイラク中部、ユーフラテス川にまたがる古代都市の名前であるが、それとは別に「栄華と奢侈(※)と悪徳の都」という意味も併せ持つ。
※しゃし=必要な程度や身分を越えたぜいたく。

物語の主な舞台は1920年代中盤~終盤。
このころのアメリカは空前の好景気に沸いていた。
とりわけ映画界は隆盛を極め、歴史の授業で習うだろう「世界恐慌(1929年)」の時もどこ吹く風。
とにかく、常に繁栄を謳歌し続けた。

このことは本作冒頭、豪華絢爛・酒池肉林・狂喜乱舞といった表現がよく似合うダンスパーティー…もとい乱痴気騒ぎのシーンを見ればイヤでも理解できることだろう。

そんな当時の煌びやかなアメリカ映画界に潜む「堕落と挫折」という表裏一体の要素を描いたのが本作である。

✏️無声から”トーキー”へ
昔の映画が音がなく映像だけで、シーン解説のために字幕が当てられたり活動弁士による声での補助が欠かせなかったことは、映画に詳しくない人でもご存じだろう。
これは当時の技術的に、映像と音声を同期させることが難しかったためである。

だがしかし、技術革新により今我々が当たり前のように享受している映像と音声がセットになった「トーキー映画」が誕生する。

劇中『ドン・ファン』や『ジャズ・シンガー』といった作品名の映画が登場するが、これらは実在する映画作品。
トーキー映画黎明期の作品として、当時の人びとに衝撃と感動を与えた作品として描かれている。

トーキー映画の誕生によりアメリカ映画界は更なる飛躍と成長を遂げることになるが、その反面で人生を大きく揺さぶられることになる人物もいた。

そう。それが、本作のメインキャストである映画人3人。
ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)、マヌエル・トレス(ディエゴ・カルバ)である。

特に無声映画のスターとして活躍していたジャックとネリーは、トーキーの誕生により一瞬にしてその栄誉と名声を奪い去られることになる。

少し話が脱線するようだが、ジャックはジョン・ギルバート(1897~1936)、ネリーはノーマ・タルマッジ(1894~1957)という、1920年代に実在した”無声映画のスター”たちがモデルになっていると思われる。

ジャックは「顔と声のイメージが違う」という理由で映画スターの座を奪われた。
ジョン・ギルバートも端正な顔立ちとはイメージが違う甲高い声の持ち主であったといい、その影響で人気に陰りが出始めた。

ネリーもまた、劇中「瀕死のブタ」とまで揶揄される声質であったため、これまた一瞬で転落人生を歩むことに。

ノーマ・タルマッジも「上品なかわいさと同時に下品な声を持つことが判明した」と当時の雑誌にこき下ろされた。
また、ネリーとノーマは出身地(ニュージャージー州)も一致している。
※訂正:他の方のレビューを拝見したところ、ネリーのモデルはノーマではなくクララ・ボウ(1905〜1965)のようですね。

このように、トーキー映画への順応がうまくいかず、没落したかつての映画スターは珍しくなかったという。

映画スターの座を引きずり降ろされたジャックとネリーのその後の転落劇は見るも無残。
かつて頼りにしてきた・されてきた人物からは見放され、まさに人生のどんづまり状態。

「祇園精舎の鐘の声…」
そんな平家物語の一節が聞こえてきそうな、栄枯盛衰の道をたどった二人の映画スター。

一見、1920年代栄光のアメリカ映画界の華やかさを面白おかしく描いただけの作品に見えるが、実在の人物(と、思われる)をモデルにした、フィクションともノンフィクションとも判断のつかないエネルギーとパワーあふれる人生のシークエンス。

3時間という上映時間だけ見ると怯んでしまいそうになるが、そんな時間を感じさせぬスピード感は実に圧巻。

✏️「映画」
ド派手な音楽と映像がクローズアップされがちな本作だが「映画作品」そのものへのメッセージ性も高いと感じる。

それを強く思ったのが、ジャックとネリーに次ぐメインキャストのひとり・マヌエルが発した「重要で長く続くものの一部になりたい」というセリフ。

本作は、マヌエルがミュージカル映画の名作『雨に唄えば』を見ながら涙を流すというシーンで幕を閉じる。
あの涙は「自分も今に続く映画界の一部になれた」という感傷から来る涙だったのではないか…?と個人的には思う。

またこちらも本作終盤にて流される、実際の映画やアニメ作品のワンカットが荒波のように押し寄せるあのシーン。

「世界初の活動写真」と言われる『動く馬』(こちらは昨夏公開の『NOPE/ノープ』でも取り扱われたため、記憶に新しい人も多いだろう)や『アバター』、ルーニー・テューンズに登場するダフィー・ダックの姿が確認できた。

今もなお愛される名作だったり、今日の映画の基盤となるような革新的な技術を投入したような作品だったり、「駄作」と一蹴される作品だったり。

およそ数えきれないほどの映画が生み出されてきたわけだけど、マヌエルのこの言葉の前にはそれらも「映画という歴史の一部に過ぎない」のではないか…と。

ゴシップ記者のエリノアが、自身のことを書いた記事の抗議に訪れたジャックに対して放ったセリフも心に残っている。
「役者は死してもなお、作品を再生すればたとえ何年後だろうとそこに蘇る」

たしかにそうだ。
映画スターがこの世から消えたとて、その一瞬は悲嘆に暮れるかもしれないが、作品を再生すればそこに生きている役者は存在している。
そして我々は、その作品を初めて見たかのようにまた興奮や感動を覚えるだろう。

そういう意味では、人びとを魅了する映画スターですら「歴史の一部」でしかないのではないかな…と。

分かりやすい形で「栄光と繁栄」を謳歌できる映画界だからこそ語れる、”人間の儚さ”のようなものを感じてしまった。

☑️まとめ
だいぶ長いこと書いてしまったけれど、とにかく3時間という時間を感じさせないスピード感と映像に音楽は素晴らしいの一言。

本当は”4人目の”主人公・ジャズ奏者のシドニー・パーマーが掴んだ成功と彼が味わった屈辱についても語りたいのだけれど、どうしても長くなってしまうしまとめるのが難しいのでここまで。

他の方の点数だけを見ると、だいぶ評価が割れている模様。
やはり映画自体が単純に長いということもあるし、生物が体から出せる全ての汁という汁(糞尿・吐瀉物・血…etc)が揃い踏みということもあって、エログロナンセンスを突き詰めただけに感じる方も多いだろうということは頷ける。

それでもやはり、自分がひさびさに結構な時間をかけて感想を書くくらいにはいい意味で頭を悩まされ、好奇心を刺激してくれる魅力を持った作品だった。

<作品スコア>
😂笑 い:★★★★☆
😲驚 き:★★★★☆
🥲感 動:★★★★☆
📖物 語:★★★★★
🏃‍♂️テンポ:★★★★★

🎬2023年鑑賞数:20(5)
※カッコ内は劇場鑑賞数

<余談>
本作を鑑賞中に、人生で初めて「映写機のトラブルによる上映中断」を経験。

劇中不自然な場面で画面が暗転してセリフが途切れて、体感3分くらい無音が続いたところで「あっ、これはトラブルだな…」と。
しかしこんな状況でも一切慌てず、騒がないのはさすが日本人の国民性。

結局その日は映写機が復旧せず、返金とタダ券をもらって帰宅。
翌日無事最後まで見られたので良かったけど、3時間のうち2時間まで見させられて解散!はさすがに生殺しが過ぎるなぁ…。

まぁでもその間、トーキー映画の歴史とその変遷を調べることができたので、怪我の功名ということで。
なお

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