春とヒコーキ土岡哲朗

バビロンの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

バビロン(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

映画人を養分にする、映画という神であり、ただの産物。


衰えていく人を描くために、盛り下がっていく映画。

3時間のうち、最初の1時間はチャンスを得た若者の夢の始まりや、売れているベテランの大味な日常を描く。真ん中の1時間が若者が映画業界で華々しく過ごす様、トーキー映画という革命に合わせて生き残ってやるぞともがく様。しかし、最後の1時間は、トーキーに対応できずに置いて行かれる、二人の役者の完全な衰退を見せられる。周りからも、自分自身も自分をみじめだと思いながら気分が落ち込んでいく姿。そして、役者の二人はどちらも結末が、自殺と、何があったか謎の遺体発見。スタートの派手さが嘘のように、無に帰す。でも、それを語りたい、そういう語り口にしたい、という狙いで作ったのだろう。登場人物の人生だけでなく、映画も盛り下がっていくことでしか出せない、衰退の弱さ。低評価をくだす人もたくさんいる宿命を背負った上でないと成立しない映画。こんな映画もたまには作られてほしい。


嫌な派手さが嫌じゃない。

序盤、映画業界の嫌なパーティが描かれる。役者や業界人が薬物と乱交も交えながらの狂乱。とても下品なんだけど、なぜか愛らしいし尊敬もしてしまう。このくらい派手な人たちだから、映画という派手なものを届けてくれるんだなと思う。業界人たちが、どこまでも派手でいるための鍛錬ですらある。
そのあと、出世していくネリー・ラロイが「悪趣味とピュアが混ざっている」と称される。これがまさに、演じているマーゴット・ロビーのイメージにも当てはまる。ハーレイクインや『アイ、トーニャ』など演じてきた役柄はまさに、悪趣味とピュア。この人が次どんな映画に出るのか見たくなる魅力は、そこから来ているんだな。

この映画では、「こんなタイミングで?」というところで何人か死ぬ。中でも、薬物を使って乱交していた女、合戦のシーンに参加していたエキストラ、熱く密閉された部屋に閉じ込められていたスタッフ。みんな、一応映画に身をささげて死ぬ。一人目は仕事とは関係なときだし、2,3人目は他人にそうされたから本人たちが身を挺する気持ちだったわけじゃないけど。「桜の木の下には死体が埋まっている」という一文のように、命をとられるリスクもあるから映画という魔物は輝いているんだなと思った。


革命に置いて行かれる。

トーキーの到来を、最初は映画の進化として奮い立っていたジャック。しかし、ジャックはトーキー向けの演技力はなく、彼の演技で客席は大笑いする。序盤でネリーが自分の出演シーンで笑いが起きているのを客席で確認して喜ぶシーンがあるが、それと真逆。(ちなみにネリーのシーンはマーゴット・ロビーが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で同じ状況シーンをやっていたので、もろあの映画に刺激されて作られた映画なのかなと思う。)
ジャックはライターから、自分の時代は終わったが、自分の時代があったこと、一時の栄光に酔えたことを誇りに思っていいと言われる。新しいものが出てきて、全員が対応できるわけじゃない。技術や環境の入れ替わりとともに業界の頂上から下ろされる人もいる。それを負けととらえるのはあまりに冷酷だ。その人のキャリアの最後が高いところにいなくても、瞬間最大風速を思い出して愛したい。でも、はたから見てそれで良くても、ジャックは自殺してしまう。本人が辛いのもまぎれもない事実。


映画の歴史の一部になる。

ネリーもギャンブル中毒で借金を抱えて、マニーと逃走中に消えてしまい、遺体で発見される。ネリーを失ったマニーは、映画業界を離れ、落ち着いた家庭を持ち、最後に映画館を訪れる。映画を観て、ジャックやネリーを思い出して泣くマニー。散っていった彼らも映画の歴史の一部だ。映画は、彼らがいたからその時代も息づいていた。そんな風に二人が間違いなく映画に貢献していたことを再確認しつつ、それでも時代についていけずに衰退した悲しさも混ざった涙。

そして、映画の進化の歴史をまとめた映像が詰め込まれる。モノクロ時代に舞台セットで見せ方を工夫していた時代から、カラー、終盤は『ターミネーター2』や『アバター』などCGや3Dといった技術まで。置いて行かれた先人がその時代を盛り上げた積み重ねが、今日までずっとつながっている。マニーが最初に憧れていた「大きなものの一部になりたい」とは、このこと。業界から足を洗ってしまったマニーは、映画人のまま映画に振り回されて一生を終えた二人に届かないという無力感と敬意もあったはず。
映画は映画人を食ってしまう神でもあり、映画人たちの足跡にされるがままに組み立てられる積み木のようでもある。