大道幸之丞

バビロンの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

バビロン(2021年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

これは傑作です。タイトルの「バビロン」はバビロニア帝国の首都というより「栄枯盛衰」と捉えるのがいいでしょう。戦争を挟んだ1920年代から1950年代の映画界を描いた物語です。

アメリカの無声映画時代からトーキーへ移行する時代に無声映画界最大のスタージャック・コンラッド(ブラッド・ピット)の自身をとりまく環境の変化と、なんとか女優としてスターダムにのし上がってやろうと野心のあるネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)。
当初は具体的ではないがメキシコ人のハンディがありつつ「大きな業界の中で活躍したい」と願う青年マニー(ディエゴ・カルバ)。そして短編映画の成功によって名声を得る黒人ジャズトランペッターシドニー・パーマー(ジョヴァン・アデポ)彼らの間で存在感を出す中国系女優レディ・フェイ・ジュー、
スターたちのゴシップを扱う記者エリノア(ジーン・スマート)

これらの個性が織りなす人間模様がいい。

冒頭はスポンサーが開催する大パーティーで無声映画のスターたちが招かれている。そこへ象の調達と現場マネージャーのような仕事で関わるマニー。それを察したネリーをパーティーに招き入れてあげる。

このパーティーは酒池肉林・乱痴気騒ぎで、ドラッグも酒も女も充分に用意されており退廃の極み。スターは数名参加するが、多くはそれを口実に好き放題に楽しみたい者が集まっているように思える。まあこの時代の最大の娯楽が映画でありそこに金が集まってきている事を冒頭から力技で描いている。際どい描写も多くぼかし処理だらけだ(笑)

果たしてオーバードーズで瀕死に陥ったジェーンの代役として出演を勝ち取ったネリー。しかも初出演もそつなくこなし評価も上々になる。

一方酔い潰れたジャックをコテージまで送り届けたマニーはジャックから気に入られ「撮影中ずっとそばにいてくれ」と頼まれ専属スタッフになる。

ここからネリーのスターダムとマニーの映画製作者としての才能が評価され将来が楽しみになるが、ネリーの酒癖とドラッグとギャンブル癖がぶち壊しにし、その度にマニーも巻き込まれ周囲の信頼を毀損してゆく。

結局ジャックはトーキーでは失敗し「過去の人」にされてしまう。そこを、訪ねて行った、エリノアにハッキリと「かなり前にあなたの時代は終わった」と申し渡されてしまう。ついに未遂ではなく親友ジョージも自殺してしまい。相談相手もいなくなり追い詰められてゆく。

ネリーも早々と女優として飽きられ、しかし次の機会を与えようと努力するマニーの好意を片っ端からぶち壊す。

そのくせギャンブルで大金を失ったと泣きながらマニーに助けを求めて来る。
観客は「心を鬼にしろ!マニー!」と思うだろうが、彼には最初に出会ったあのパーティーで将来の夢を語り合った場面が記憶に強く焼き付いており見過ごせない。

危ない橋をわたり、ネリーを助けようとするが、結婚を誓い合って逃避行の寸前でドラッグが回っているのかフラフラと何処かへ行ってしまう。

自身の努力とは無関係に「時代の流れに抗せない」事を受け止めたジャックは階下のラウンジで酒を飲む妻を置いて自室に戻り銃で自殺する。ネリーは路端で亡くなっているのが発見された。

——戦争を経た20年後の1952年。マニーはニューヨークでオーディオショップを経営していた。LAへ行ったことがないという妻と子供を連れてかつて自分が出入りしていた「キノスコープ社」の門前に立つ。懐かしみながら同じメキシコ系の門番と会話を交わし妻と別行動をとり、何の気なしに映画館に入る。

そこではトーキーの先駆けになり、演奏部分のジャズトランペッターシドニー・パーマーをピックアップし短編映画を監督して成功するきっかけになった『雨に唄えば』が上映されている。

この映画こそまさにサイレント映画からトーキー映画に移る時代のハリウッドを描いた作品なのだ。
(同名の楽曲は1929年ヒットした)
その意味でこの『バビロン』は『雨に唄えば』のオマージュである事をうかがわせる。そして大きな映画界の転換期であったからこそ、素人のマニーが
映画界に関わる事も出来たのだ。

この曲を聞き、それまでは現実の生活に没して忘れていたが、マニーの眼前にはあの精一杯全力を傾け映画に向き合った20代青春時代の自分の記憶、苦楽に胸を焦がした時代がありありとよみがえり頬を涙が伝うのであった。しかしやがて彼の表情には笑顔も浮かぶ。「やりきった」思いもあったからなのか。

——前編にわたり音楽がいい。事件が起こるタイミングではサックスの決まったフレーズが流れるが曲名は“Coke Room”AppleMusicにもサントラがアップされている。https://www.youtube.com/watch?v=SPE8DA00E4I

どこにあっても常に誠実でベストを尽くそうとするマニーのキャラクターはネリーとは真逆だが、男と言うものは愛した女は従順で献身的な女性よりも、奔放でわがままし放題の手を焼く女の記憶の方が強く残るものだ。

そしてマニーはどこか全体を冷めた視線でみているようで我々鑑賞者に近い立ち位置だ。

ジャックの自殺直前に偶然顔を合わせたフェイ・ジューが去り際ジャックの後ろ姿に不吉を感じるカットがあるが、東洋人の「勘」を神秘的に捉えた描写だろうか。結局この時代の東洋人はハリウッドではどこか道化・色物の扱いであることをフェイが代弁している。

トビー・マグワイヤ演じるギャングのボスマッケイがセンスもないのに「いい映画のアイディアがある」と披露するアイディアがどれもヒドイもので、一種「あるあるネタ」とも言える。

年頭にこんな傑作をみてしまった自分は幸福なのかどうかわからないが、ラッキーだったのは間違いない。