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星の子のkuuのレビュー・感想・評価

星の子(2020年製作の映画)
3.6
『星の子』
映倫区分 G.
製作年 2020年。上映時間 110分。

子役から成長した芦田愛菜が(最近やと有名私立大学医学部への内部進学が内定ちゅう記事をよく目にしたが大きくなった!オッチャンは嬉しい)2014年公開の『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』以来の実写映画主演を果たし、今村夏子の同名小説を映画化。
監督は、大森立嗣。
製作には近藤貴彦とあるし、マッチかなと思たら漢字一字違い。

大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治したという、あやしい宗教に深い信仰を抱いていた。
中学3年になったちひろは、一目ぼれした新任の先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。
そして、そんな彼女の心を大きく揺さぶる事件が起き、ちひろは家族とともに過ごす自分の世界を疑いはじめる。

作中、ちひろはエドワード・ファーロングが好きだと云うが、あの美しき少年の現在のワイルドに成りきれないコデブ姿を見たらなんと云うか。。。

今作品は、
『宗教教団(ひかりの星)に入信している両親のもとで少女が育つと』
粗筋を読んだら、単純に最悪の恐怖を感じる。
家族も、学校の友人も、千尋のことをずっと心配してる。
しかし、今作品では、家族も宗教教団もムチャ悪者には描かれておらず(よくよく考えたら怖いけどスリラーやホラーの怖さはない)、そこから心の自立の試みを筋書きにする形になってました。
宗教教団とこの家族(主人公の姉や伯父との関わりなど含め)が歳月とともにどないに変化していくかが描かれてて見やすい作品と云えるかな。
信心を持つもの、持たぬもの、どちらにも大きな悪意は感じられないストーリー展開と豊かな情感で、この両親の宗教の理由には決してふれず、少女の宗教に対する認識、宗教にまつわる汚名、この目覚めが彼女の将来にどのように影響するかを物語に仕立て上げているのは巧い。
芦田愛菜は、女優としての多才さを証明してます。
同じ年代の女優では、ちひろ役は本田望結には申し訳ないが難しいかな(ちょい嫌みかな)
また、さまざまな感情を表現することができる巧みな脇役たちとともに、マジ輝いている。
脇役には、熱血に成りきれない弱っちい先生役の岡田将生、蒔田彩珠(『妻小学生になる嵌まったなぁ』)が、ちひろの姉役。
ちひろの両親には永瀬正敏と原田知世(頭に布巾乗せ水を注ぐアホらしい演出を真面目に演じて、質素な両親をさりげなく熱演してた。河童ルッパッパ)
今作品は、決して宗教を告発するような映画ではなかった。
ただ、怪しげな集団の中にあって、やはり人間としての交わりがあり、その中で一喜一憂する市井の人々の懸命な姿が存在している。
作品の終盤、親と子の何気ない会話は、彼らがどんな宗教、どんな神仏を信じているかによらず、普通の仲が良い親子であることを、さらりと、そして温かく描いてました。
(深読みすれば、この後描かれてはいないが無理心中間際の会話なら悲しいかな)
同時に、世代間の差異もやんわりと提示されている『宗教』を信者二世の視点で内側から描いた斬新な一作でしたし、考えさせられました。

目に見えない何か、例えば人との縁だとか、対人関係において合う合わないだとか、まだ科学的には完全に否定できないようなモンは小生も『なんなんやろなぁ』レベルの位置で否定できないでいる。
漠然と宗教を信じるか否かと問われたら、深層心理は別として懐疑的寄りではある。
自分にとって道徳的に悪いことをすると、小生は『バチが当たる』と内心で思ってる時点で、ある意味、損得で宗教を利用してんのかもですが。
以前、知人からどうしても会って欲しいと云われ出向いた先に、今作品の様な怪しげな団体と食事をし話したことがある。
彼らは、作中同様に、『ある力を注いだ美容健康に良い商品』と力説し売り込んできた。
兎に角、使って見てくれと試供品を沢山くれ、小生は『考えさせてほしい』と伝え、家に戻り、早速、メルカリ(フリマアプリ)でその商品類を出品したら飛ぶように売れた。
『飯まで奢ってくれ、なんて良い人たちなんだろ』と彼らを称えた。
それくらいの感覚でしかない。
寺社仏閣の境内で唾を吐いたり、立ち小便する猛者にもなれないレベルです。
このように宗教には無知故に誤った考えなどで信仰を持たれた方が読んで不快になるやもしれませんがお許し下さい。
日本では信教の自由が保障されていて、人が自らの意思で自ら選んだ宗教について学んだり、入信したりすることは、問題のあることではないと思う。
しかし、世の中には、他の人の押し付けによって、宗教を学ばせられる人もいる。
それは、今作品に描かれてるような信者を親にもつ子供たちです。
『教育』(健康に育って欲しいも含め)という名目によって、子どもたちの信教の自由はたびたび無視されてる。
また、信者以外の人は邪悪な道に導く可能性があるため、必要以上に関わらないようにと教えられる。
純粋故に子供は自然とその教えこそが真理であると思うようになっていく。
見透かされてると感じる恐怖、罪悪感を学んでいくうちに、納得できないところは見つけていくとは思います今作品のように。
せやけど、集会やらに参加して説教、説法の類いを聞くたびに、周りの環境に流され、のみ込まれてしまうのが子供の常です。
大人でも、渦にいれば中々あがなうのは難しいとは思う。
そのたびに、子供たちは罪悪感と、心を神や仏に見透かされているという恐怖を覚える。
そんなセコい、了見の狭い神仏なら信じるに値しないとは小生なら思えるが、子供は難しい。
まだ考えがはっきりとしていない子供を宗教のコミュニティに閉じ込め、思想、そして信者として崇めるものに仕える人生を押し付けていことに反発できる子供は稀かな。
今作品の主人公の姉のようなら良いのだか。
もちろん親も、子供のためを思って、こないな事をしていんのやと思います。 
そやけど、それは本当に子どものためになっているのか、思想、そして善意の押し付けになってはいないか。
宗教は趣味などという軽いものではなく、良くも悪くも人生を変える大きな存在だと思う。
親が『教育』するのではなく、子どもがさまざまな知識を持ち、自分で自分の人生を決められるようになってからの自発的な選択に任せる事の大切さ、そう教育する難しさを今作品では暗喩されてるように感じました。
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