くまちゃん

星の子のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

星の子(2020年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

今作に大きな事件もドラマチックな展開も何も起こらない。
林ちひろの日々にフォーカスしたドキュメントに近い日常ドラマだ。
両親が新興宗教に傾倒していることを除けば本人はいたって健全な受験生である。

我が子が病に伏し、神頼みのタイミングで寛解したのであれば宗教にのめり込むのも致し方あるまい。

新興宗教という題材は多いが子供の目線
に徹底している所が秀逸。
子供目線だからこそ団体や両親についてわかる部分とわからない部分があり良い意味での妙な気持ち悪さが残る。

新興宗教といえばセンセーショナルな事件のせいでカルト的な印象が付きまとうが、決してそのようなものばかりではない。
お布施や献金により団体を運営させるのは伝統宗教も新興宗教も同様である。
ちひろの両親はそのせいで貧困に陥ってるとされる。
周囲からすれば高額な水を購入し、毎日怪しげな儀式を執り行う父と母のもとで子供に悪影響が出はしまいかと心配する気持ちも理解できる。
ただ子にとって、今までみてきた両親の姿が全てでありかけがえのない存在なのだ。
自分が信じてきたものをある日突然、南のような人間に否定されてしまったら、その心は行き場を失ってしまう。

ただ今作の宗教団体も「カルト的」な団体と言えるだろう。
あくまでちひろ目線なため、詳しい情報は明示されず噂の域をでないが、詐欺や監禁を示唆するような描写がある。

エドワード・ファーロングに感化されたことから他人と自分を醜く見えてしまうちひろに対し、歪んだ光景を矯正する眼鏡を与える両親。それを素直に着用し同級生に笑われるちひろ。
しかしそんなちひろに、ただの面食いだと指摘する友人がいたことは彼女にとって大きい。
2000年以降に誕生した少女がエドワード・ファーロングを好きになる確率は如何ようなものだろうか。
積極的に映画制作を行う宗教団体もあることから、今作に登場する「あやしい宗教」も何かしらのプロパガンダ映画を制作しているのかも知れない。
その過程で、団体の会合にて古い映画を見る機会があったのではないか?
なぜなら家族で映画が好きな描写は一切なく、エドワード・ファーロングだけがいきなり登場するからだ。

ちひろが使っている手帳は、自身が生まれた時、母がちひろの体調を記入していたものだ。
おそらくこれを使うようにと母から譲り受けたものだろう。
つまりちひろにはまだ自我が芽生えていなかった。
芦田愛菜は原作を読み、自ら髪を切ることを提案した。大森立嗣監督は「髪が長いと女性としての意思を感じ、ちひろはまだそうではない」とその提案を受け入れた。
そういった的確なアプローチがちひろの立ち位置やアイデンティティに強い説得力を持たせている。

南教諭を演じた岡田将生は流石と言える。
学校にいれば女子生徒から色眼鏡でみられ、本人も真面目に仕事はこなすが、程よく欠陥がある。
そのクズさ加減が絶妙であり、リアル。
圧倒的な生々しさ。
こういう役は岡田将生以外のキャスティングはありえないだろう。

ラストでちひろは父と母と星空を眺める。
音信不通の長女、ちひろの姉から出産の連絡があったらしい。どこにいるのかも、何をしているのかも、父親が誰なのかもわからない。
父も母もここで初めて信仰心に揺らぎがあったのではないか。娘に拒絶され孫の顔を見ることもできないのだから。

両親は流れ星を見る。遅れてちひろも流れ星を見る。だが3人そろって流れ星を見ることはなかった。両親とちひろは見ているものが違うのだ。進むべき道が違うのである。
くまちゃん

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