櫻イミト

悪徳の快楽の櫻イミトのレビュー・感想・評価

悪徳の快楽(1969年製作の映画)
4.5
マルキ・ド・サド「閨房(けいぼう)哲学」(1795)の映画化。ユーロ・トラッシュ映画の大家ジェス・フランコ監督が長年切望していた企画で、原作の舞台を1970年に設定。原題は「De Sade 70(サド‘70)」。音楽はエンニオ・モリコーネの盟友ブルーノ・ニコライ。主演は「早熟」(1968)のマリー・リシュダール(当時18歳)。

【あらすじ】
純粋無垢な娘ユージェニー(マリー・リシュダール)は父親の友人(実は情婦)のアンジュから孤島の別荘に招待される。アンジュの裏の顔はマルキ・ド・サドを崇拝する快楽主義グループの一員で、生娘を使った快楽の儀式を計画していた。飲み物にドラッグを入れられ意識朦朧となるユージェニー。島にはマスター・ドルマンズ(クリストファー・リー)が従えるサド主義者たちが向かっていた。。。

フランコ監督の前年作「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」(1968)が、ワケありとはいえイマイチだったため期待半分で鑑賞。果たして、同作での不満点は全て解消されていてかなり楽しめた。マルキ・ド・サド原作映画としてはこれまで観てきた中ではベスト。好事家としてはパゾリーニ監督の「ソドムの市」(1975)よりもこちらの方が耽美的かつキッチュで好みだった。

冒頭クレジット、海辺のマンション群に雲イラストのテロップベースがのせられ、ムーディーな女性コーラス劇伴がかかる。このキッチュな美学がたまらなく好み。続いて赤い照明の部屋で行われている快楽主義グループの儀式。生贄の台に横たえられた全裸少女を前に、正装のクリストファー・リーがサド哲学を知的に語る。その後ろに佇むストッキングをかぶった男女のメンバーたち。これぞアヴァンギャルドな変態美学ではなかろうか。クリストファー・リーは数年後に「ウイッカー・マン」(1973)でカルトの長を好演するが、その片鱗を本作で見ることができた。

被虐のヒロイン・ユージェニー役のマリー・リシュダールも汚れた気配が見えず適役。ブルーノ・ニコライの可憐な劇伴にのせて少女残酷物語が繰り広げられていく。全裸シーンは多いがグロやハードな描写はない。美しく撮影された陽光の海辺と原色照明の密室を切り返しながら、精神的な加虐と被虐が描かれていく。

丸尾末広の漫画「少女椿」(1984)を想起した。本作と物語の展開と落としどころが似ている。これまであまり意識したことがなかったが同作もサド的な美学に乗っ取っていたことを本作を観て認識した。日本では実相寺昭雄監督がマルキ・ド・サド「悪徳の栄え」(1988)を手掛けていて、同じく原色照明を多用しているが本作との印象はまるで違う。おそらく同作の役者が男女総じて中年で不健康に見えるためであり、快楽の説得力に欠けるのが原因と思われる。

本作の不満点を挙げると、スローペースで尺が短いため少々物足りないこと。ペースアップするか尺を伸ばすかして、終盤のクライマックスにもう少し時間と演出を割いてほしかった。

フランコ監督の他作品と同様に本作の平均評価は低いものだ。悪徳を描いているのだから憎悪する向きがあるのも当然だと思う。しかし個人的に、これまで5000本以上の映画を観てきた中で、60年代末期のアヴァンギャルドでキッチュなエロティシズムをこれほど体現した映画は他に見当たらない。当時カルチャーと空気感が好きな好事家にとっては貴重かつ必見の逸品と言える。
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