SORA

プロミシング・ヤング・ウーマンのSORAのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

被害者の一番近くにいた人の苦しみに焦点を当てた映画って、少ない気がする。しかも、うまくエンタメに昇華してるおかげで、レイプ被害について関心のない層にもこの映画が広く知れ渡る。素晴しい作品だと思います。

ニーナがどんな人でどんな人生を送っていたのかも大切だけれど、この映画はあくまでニーナを一番助けられる可能性の高かったキャシーが、一人残されたあとの人生を描いているのである。だから、私はこれ以上ニーナについて語る必要はないと思う。きっと、ニーナのことを知れば知るほど、鑑賞してる側はニーナにも非があったのではないか?とステレオタイプな考えを持ってしまうおそれがあるから。劇中でも、マディソンが『ニーナはよくパーティに出席しては泥酔していた』『トラブルがおこるのは時間の問題だった』と言う主旨の話をして、ニーナの事件は起こるべくして起こったのだと言わんばかりの主張をおこなつている。


実家住まい、服装、持ち物、髪型すべでがニーナの事件から止まったままのキャシー。
一度は諦めた、加害者への制裁。
バーで泥水した女性を、合意のないまま性行為に及ぶ男に、お灸をすえる事でこれ以上被害者が出ないように草の根運動を続ける彼女。それも彼女なりの償いであり、弔いなのであろう。
ニーナが今のキャシーの行いを望んでいないことは、ニーナの母の態度から容易に想像できる。


子供の頃の過ち、時効、それは全部加害者の自己肯定のためにある言葉。被害者は取り残される。前へ進もうともがく彼女に、突きつけられるあの日の事件。
加害者は捕まり、事件が表沙汰になるが、そこに二人の命と同じ価値はあるだろうか。そこまでしなければ、制裁はくだされないのだろうか。
婚約者の名前を自分の体に刻むなら、自分が殺した女の名前を刻んでやるよって気持ちはわからなくもない。

この映画で特に印象的だったのは、冒頭キャシーに暴言を投げる3人の工事現場職員。加害者とは、実行犯だけなのだろうか?傍観者も、その周りの大人も、社会もすべてが関わっていると私はおもう。

社会的に地位のあるもの(弁護士、セレブ)、社会奉仕的な職業(医者、医学生)、レイプ犯とは疑われにくい人達が、加害者としてえがかれており、脚本の緻密さを感じた。


デートレイプドラッグの恐ろしさについて、日本でももっと周知するべきですね。
SORA

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