春とヒコーキ土岡哲朗

プロミシング・ヤング・ウーマンの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

事なかれ主義も加害者である。

クラブで踊る男たちの、下品な腰つきのアップを連続で見せられるところから始まる。男の脂ぎった性欲の気持ち悪さ。無防備に泥酔したキャシーを見て男たちは「もうそれがまずいって分かる年だろ」と言う。たしかに、悪い男に好き放題される可能性なんて分かり切ってるんだから、なんて危なっかしい、と思う。でも、悪さする男がいなければそもそもそんなことにはならない。まるで動物に襲われるぞと言うのと同じ口調で、男の欲望についてはスルーされている。
終盤、キャシーに追い詰められたかつての暴行犯が「あんな告発は、男にとって地獄の悪夢だ」と叫ぶ。それに対しキャシー「じゃあ、女にとって地獄の悪夢は?」。女性は自分の尊厳を奪われ、保身に走る男性と、それに流され深入りしない女性によって社会的にも孤立する。そんな地獄を男が作っておいて、「告発されたら人生が壊れる」と主張する。性欲にまみれた動物と社会的地位を気にする人間の性質を都合よく使い分けるのが憎たらしい。キャシーを殺した男は自分の結婚や仕事への影響に怯えて泣く。それを友人が、大丈夫だと落ち着かせ、協力して死体処理し、親友を支えるハグ。こういう男にとっては、レイプのもみ消しも「立場を失うかもしれない大ピンチだったけど、友のおかげで乗り切ることができた」という感動的な友情物語なんだろう。

加害者を擁護する社会。
加害者グループどころか、周りまで加害者の味方をする風潮が社会にある。この映画で登場するのは、同性でも「酔った女の自己責任」と見捨てた同級生の女性、加害者の未来を奪えないと加害者側に立った女性学長、金を積まれて被害者が同情されない心象操作を行った弁護士。事件が起きていても「事件はなかった」とする事なかれ主義の罪深さ。自分の良心を働かせずにスルーすれば、何も気苦労がない。ただ、それはトラブルに関わらなかったのではなく、加害者に加担したことになる。それに気づいているから、弁護士はずっと後悔しているし、キャシーと対面するまで平然と生きていた二人もどこか自分の罪に心当たりがあるように見える。
キャンセルカルチャーに対して「再挑戦の機会を悪意で奪うのをやめよう」という反論もある。ただ、性犯罪を隠していることはそれと区別しなければいけない。

ライアンがデート後に家で飲まないかと誘ってきて、キャシーは「こいつも他の男と同じか」と失望し、デートは台無しで終わる。キャシーは去り際、ライアンの見ていないところでゴミ箱を蹴り倒す。この出会いは誠実な恋愛になりそうだと期待していたからこその失望。キャシーは、完全な復讐の鬼ではなく、まだ希望を持ちたい人間なんだと分かる。それでもライアンとの関係が修復され、二人は恋人に。同時に弁護士の懺悔と、ニーナの母の「前に進んで」の言葉で、復讐をやめて穏やかに幸せを掴もうとする。しかし、ライアンもニーナが被害にあっているとき現場で笑っていたのが動画で発覚し、キャシーは完全に復讐の鬼に染まる。前を向けないのは悲しい展開だが、事実、被害者側の人は切り離せずにずっと抱えて生きる。罪を隠して勝手に前を向いているヤツらを罰さないと、世間は変わらず、同じ被害者を生み続ける。自分個人の平穏を捨ててでも戦わないと変わらない。


音楽と、カウント表示の演出の上手さ。
主人公キャシーの男への復讐が、男にとって怖く、異常なものだというのが、音楽で煽られていて上手い。
また、ニーナ絡みで恨みがある人への直接の復讐になってから、一人ずつ「Ⅰ」「Ⅲ」など画面に表示されるが、4人目が「ⅡⅡ」と表示され、「Ⅳ」じゃないのか?と思ったら、死後に発動した大復讐で「ⅡⅡ」に斜線が入って5を現す。これは、キャシーが狩った男の数を記していたノートでの数え方。それが分かったとき、死んでなおキャシーの復讐が達成したことに溜飲が下がった。