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プロミシング・ヤング・ウーマンのちのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

Netflixで配信終了になるまでに鑑賞。

この映画作った人の何かに対する強い思いが内臓に響く映画やった…。
対象が性犯罪なのか、尊厳を踏み躙る行為なのか、精神的な殺人なのか、"男性"なのか、社会が生み出した歪み(性差)なのか、それは明確にはわからんかったけど、全部なのかもしれんし、どれか/このうちのいくつかなのかもしれん。

今ちょうど日本で法改正のことが話題に上っとるけど、やっぱり『泥酔しとること』で性的暴行を受けたのは自己責任って言われてしまうのはどの論理でもおかしいと改めて思った。

許されやんようなことをした人間が、自分に何か火の粉が飛んでくるとわかった途端弱い人間のように振る舞って、許しを乞うて、喉元を過ぎたらもう綺麗さっぱり忘れていつもと変わらん日常を送る。
人間ってグロいなあと思った。
何よりもジョーとアルの二人きりの場面、吐き気がした。腐った部分を煮詰めたようなシーンやった。

ニーナが何を望むかなんて、もうおらんから誰にもわからんし、ニーナにすらわからんけど、キャシーの生き方やキャシーの選んだ道をニーナがどう思うかもわからんけど、キャシーだけがニーナをずっとずっと記憶を薄れさせずに想っとったことは確かやと思う。
ニーナのお母さんと話す場面は、キャシーのことを思っての言葉やったのか、ニーナをあんまり大事にしてなかったのか、どっちかわからんかった。
けどキャシーにとっては後者やったんやと思う。

2/3くらいまでいった時、『…はぁ?』と思って、このまま話グダグダ進んだらなんやこの映画ってなるところやったけど、最後はある種のハッピーエンド、裁かれるべき者が裁かれる(であってほしい)展開になって救われた。
最後どうなったかはわからん、でも結局アルフレッドは法では裁かれなさそう。大金叩いて揉み消して、少しの間隠居生活みたいなのしたとしても、結局『成功』と人に言われる人生を送りそう。
それも含めて重くて、でもまっすぐ向き合わなあかん話やと思う。

ライアンがキャシーと話しとる時に、"shut up bitch"ってふざけた感じで言った時感じた違和感は正しかったんやなと後々思った。
キャシーに動画を見せられて、自分のしたことと向き合わせられた時のあの態度、『許し』をもらうことで楽になろうとしか考えてない、保身と身勝手の塊やった。
本当に悪いと思っとったらあんな態度取らんし、キャシーの去り際に捨て台詞なんて吐かん。
なんか、心がほんとに重たくなった。

一個ちょっと引っかかったのが、虚無の心で個人的制裁を下すことと復讐に生きとったキャシーが、割と早い段階でライアンに好意を持っていったこと。
なんか演技のようには見えんかったし、ほんとに幸せに向かって行っとるように見えたけど、やとしたらちょっと『ん?』ってなる。
おそらく同率一位で世界で一番男性嫌いであろうキャシーがあんな風に心開くか…?
けど復讐に利用するためだけやったようには見えんかったんやよなあ。

あの弁護士の人も大概身勝手やなと思ったけど、あの人が一番罪の意識を感じて生きとる人やなとは思った。キャシーが最後にあの人に選択を託したのは、あの人を救うためやったんやと思う。
唯一過去の過ちに対する良心の呵責に苛まれて生きとる人やったから、キャシーが最後の赦されるチャンスを渡したんやろうなあ。
でもあの人がこの選択をしてくれて本当に良かった。違ったらガチで救いようのない120%鬱映画で終わっとった。

話は少し逸れるけど、"ゆるすことは選択" (forgiveness is a choice)みたいな台詞がある映画にあるって、ちょうど昨日か今日どっかで見た。この映画にすごいしっくりくる言葉やなあと思ったな。
ゆるすかゆるさんか決めるのは許されやんことをされた側で、『許すって言ってよ』がいかにお門違いで傲慢な言葉かと思った。
この解釈は元の台詞の意図と違うんかもしれんけど、この映画を観て感じたこの気持ちは自分の中にしっかり残しておきたい。
ち