くま一家

劇場版ポケットモンスター ココのくま一家のレビュー・感想・評価

3.9
二男と。鑑賞回ではあまり観客は多くなかったです(同時刻に終わった某鬼映画の会場からはたくさん出てきていました)。

とある理由から出逢うこととなった一匹のポケモンと一人の人間の赤ちゃん。出会いと成長と絆と葛藤、やがてお互いを理解する一匹と一人。情感たっぷりに描かれていて、惹き付けられました。背景や劇伴も素晴らしく、レギュラーの声優陣はやはり完璧でした!

二男も大変満足した様子でしたので、良かったです。コロナによる延期で待ちに待った作品でしたし、期待通り、でした!








以下、所感として。(ネタバレこみ)










・ストーリーとしては、非常に優れた「親子」の「ポケモン」映画だったと思います。
これまでの映画ポケモン(とくに近年)で描かれたような、ポケモンと出会い成長する(進化を含む)中でトレーナーとの絆や葛藤を経てお互いに成長する話とは異なり、ザルードははじめから「大人」のポケモンで、ココは(赤ちゃんだった時を含めて)「子供」の人間で、トレーナーではない。血の繋がりもモンスターボールを介した指示関係も強制力もない、一人と一匹がお互いを思いやる心の繋がりだけで、支え合い癒し合っていく。父ちゃんザルードがココをおっかなびっくりでも大切に大切に育てたから、ココは父ちゃんザルードの子供になれたんだと感じられる描写がたっぷりで、だから最後のココからザルードへのジャングルヒールは、子が父から受け継いだものの象徴のように思えました。そして、大切なものの継承が済んだ二人は、互いの存在と成長を認めあったからこそ、ラスト別れていく。子の成長を驚きと共に喜び、旅立ちを祝し、アイツなら独り立ちしても大丈夫だ、アイツとの結びつきはいつも一緒じゃなくてももう大丈夫だと確信したところで、ザルードは「大人」としても、父としても、また少し成長を遂げたのだと思いました。
もちろん、こうした育てられる側の成長に伴い、育てる側も成長するというストーリーは、これまでアニメポケットモンスターで繰り返し描かれてきたテーマ(サトシとポケモンが出会い別れる話は初期のリザードンから、XYZのサトシゲッコウガまで、名シーンばかり)。特に、初期アニメ『ポケットモンスター』21話「バイバイバタフリー」で、タケシがサトシに言うセリフ、「サトシ、トレーナーはポケモンを育てることはできても、生むことはできないんだ。」というシーンと今回の映画は通底するものがあると感じます。その上で、これまでのポケモンと人間の育てる側育てられる側をひっくり返した本作は、より新しく画期的な取り組みであり、より一層「ポケモン」らしい絆を描いた作品とも感じました。

・物語はココと父ちゃんザルードの二人で大半の話が進むため、サトシやピカチュウやロケット団などレギュラー陣はやや出番が少なめでした。ザルードの声は案外すんなり受け止めた(非常に良かったです)のですが、ココの声は…少し受け入れにくい何かがあったのです…違和感…なんだろう?
・劇中に流れる劇伴は、いわゆる「ジャングルっぽさ」(笑)のアフリカンビート的な表現(『ライオンキング』っぽい、あるいは『狼少年ケン』的な)にはちょっと笑いましたが、まぁそれもよし。ミュージカル的な導入はポケモン映画では珍しいかも。ただ、ザルードのようなサル達が住む土地としては、樹木はあんまり熱帯雨林っぽくはないし、どんな植生なんだろうと気にかかる所はありました。
・トータス松本の歌(岡崎体育・作)は歌詞の内容も曲調も今回の映画に合った非常に良作だと思ったので、ストーリーやセリフと重ねずに、頭からフルで聞きたかったな、と心残りでした。エンドロールが別の曲で、イラストコンテスト優秀賞発表!はいつものポケモン映画なので、文句ないんですけどね…。
・毎年、最後の最後に、次回予告というかほのめかし?のようなのがなかったっけ?今回はそれがなかったので、まだ諸々未定なのかな…って思いました。
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