SUGO6

るろうに剣心 最終章 The BeginningのSUGO6のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

アクションは過去作に比べて抑えめだけれども、ドラマ性を重視し徹底したストイックな作りに拍手しかない。原作を最大限尊重した、実写ものとしてはこれ以上を望むのは難しい、と言える様なレベルだと思う。

演出的に特に気になった改変点(これが実写で表現できていればというのが)は二点。

巴の存在をより特徴づけた白梅香の香り。
本作ではこの描写はばっさりカットされている。映像=視覚描写が中心となるために”匂い”の実写での表現がおそらく困難(実現した時の期待するほどの効果がないとの判断なのか)で省かれたのかなという印象。

原作ではラストの辰巳との決戦時、視覚、聴覚を手前の戦闘で奪われた剣心を守るため、戦いに割って入る巴の存在に、彼女を自らの手で殺めてしまう手前で剣心に巴の存在を気づかせるという、重要かつある種残酷な要素でもある。取り込めていたら尚良かったのかなと。

もう一点は(the finalの時に書いたけど)剣心の十字傷の演出。一太刀目は生きようとする執念による、巴の許嫁からつけられた傷。二太刀目は、前述の戦闘時、剣心を庇い受けた斬撃により巴の手から溢れ、虚空を舞った小太刀が頬に付けた傷である。原作では辰巳に覆いかぶさる様にして剣心の太刀を受ける巴の描写の細かいコマ割りの中で描かれており、上述の太刀が傷をつけるシーンもよく見ないと見落としてしまいかねそうな所だったりする。

当時リアルタイムで原作を読んでいた時、十字の傷が、自分が愛した人と、その人が愛した人の二人によって、剣心自らが命を奪った瞬間に付けられたものだというストーリーに(そしてそれが明治以後の剣心にとっての殺さずの誓いとしての戒めになるということに)こんなにも切なく、儚く、一方で完成された物語としての美しさに、息を呑んだのを思い出す。

それを考えると、今作で息絶えだえの巴が自分の手で剣心の頬に傷をつけるという演出に切り替えたのは、どうだったのかなあと思う所はある。上述の小太刀が宙を舞った流れで傷が付くというのは現実的には無理がある気もするがそういう理由なのだろうか。(CG使えばいけなくはなさそうだけども)。

一方で、許嫁を殺され「誰かを憎まなければ狂ってしまいそうだった」という巴の言葉を取れば、「あえて」巴の手で傷をつけるという演出は、殺すのでなく愛するがゆえに身を挺して守った剣心に、一方で過去に抱いた憎しみ=愛情とは相反する感情がそうさせたという風に受け取ることもできるだろう。原作未読であればより一層上記の演出はその意味で効いてくるのかもしれない。

※言わずもがな、剣心役は最早この人以外はできないのではという佐藤健さん、巴の薄幸感を可憐に演じた有村架純さん、最高でした。そして沖田総司役、村上虹郎さんも際立っていた。こういう色気のあるオーラが出せる人は希少だなと。

いずれにしろ余計な説明や演出は最小限に抑えた上で、可能な限り原作に寄り添い完成させられた作品だと感じた。The Finalを見たときは、原作ファンにより響く巴編を完全に二作目にお話として切り分け集中させたのはどうだろうかと思った所はあったが、結果的にシリーズ最終作が、「The beginning」のタイトルを冠す、るろうに剣心という殺さずの誓いを頬に宿す男の全ての始まりであるという終幕の設計は見事だったと思う。(それ故に、一作目の爆発があればと、公開直後の都内劇場公開停止の影響が本当に悔やまれる次第だ。)
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