湯っ子

どこへ出しても恥かしい人の湯っ子のレビュー・感想・評価

どこへ出しても恥かしい人(2019年製作の映画)
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年末に日本映画専門チャンネルの予告を見て、楽しみにしてました、どれだけ恥かしい人なのかと。実際本作を観てみたら、子供のままおじさんになったような、好きなことだけに生きると決めたような、純粋である意味ストイックな、愛すべき人物でした。
若い頃には一般人のように暮らしてみたいと思ったこともあるのか、息子が4人いるようです。その中の3人が作品にも登場しており、仲良く一緒に競輪してたり、お酒を飲んだりしていました。妻だった女性は、この人のことをよくわかっていて、一緒に暮らすことは無理でも、彼の生き方を否定したわけではないのかもしれない。息子たちに父親を軽蔑させなかったのは立派だなと思いました。

偉人・中村哲先生の横にすごくダメな人を並べてみたら面白いかなと思っていたけど、そんなことはなかった。この作品だけではわかりにくいけど、きっとこの人に救われた人がたくさんいて、そういう人たちのために歌っている人なのではないか、そう思いました。
中村先生の話にまた戻ってしまうけど、「荒野に希望の灯をともす」のパンフレットに、「中村さんは含羞の人」と言っている方がいましたが、この友川さんも「含羞の人」だなと私は思った。
中村先生のスケールはあまりに大きすぎるけど、この友川さんもカルト的な人気を持つ方なのに、絶対威張らないし、褒められたりすごいと言われたりするとはぐらかしてヘラヘラしてる。誰に対しても同じ態度で接する。自分のすることに夢中になるいっぽうで、人生とか人間をどこか俯瞰して見ている。こういう人、私すごく好きなんですよね。

実際に私が関わった人にもこういう人がひとりいます。長男の高校野球でお世話になったM先生。その筋ではけっこう名が知れた大ベテランの先生でした。封建的で、ムダに威圧感持ってたりする野球関係の指導者の中で、M先生は違った。誰よりも野球が大好きで、永遠の野球少年みたいなのに、一方で「野球なんてしょせん遊びだから」っていう視点もあって、「遊びだからこそ、俺は思いっきり暴れてやろうと思う」って言ったりする。「野球道」とか「野球を通した人間教育」とか絶対言わない(こういうこと言う指導者、私はあんまり好きじゃない)。でも、教育者としての視点はいつも持っていて、勝利至上主義者ではない(だから勝ち切れない、ってところもあるとは思うけど)。誰に対しても態度が変わらないのも同じ。当時、地元の高校野球マニアの人のTwitterで、「電車の中でM先生を見かけたので声をかけたら、降車駅まで、今シーズンのことをいろいろお話できて嬉しかった」というつぶやきがあって、先生らしいなと思いました。

話が逸れてしまったけど、「どこへ出しても恥かしい人」は友川さんの持ち歌。このタイトルを彼になぞらえるなら、「ろくでもない、どうしようもない人」のことではなく、「どこへ行っても恥を知る、含羞の人」のことなのかなと思いました。
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