YasujiOshiba

ほんとうのピノッキオのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ほんとうのピノッキオ(2019年製作の映画)
-
U次。23-21。ベニーニがジェペットじいさんを演じている。腹が減って腹が減って、食べられるものなら口に入れ、食堂では壊れていない椅子や机を直させてくれと頼むのだけど、あの演技の背後にはロベルト・ベニーニが幼い頃に生きた貧しさがある。

全体としてはガッローネ節。ロングショットとクローズアップ、そして移動撮影による語り。その意味でピノッキオの顔の特殊メークの成功によって、なるほどこれがピノッキオの世界の映像化なのかと思わせる。もちろんすでにディズニーがやったことではある。けれども、ベニーニの『ピノッキオ』(2002)のように、大人が子どもを演じるという奇を衒う演出に訴えることなく(それはそれで面白かったのだけど)、ストレートにピノッキオの世界を映像化できたのではないだろうか。

例えばペッシェカーネ(Pescecane)。ゼペットとピノッキオが海で飲み込まれるわけだけど、ディズニーでは怪物クジラが成功。これで世界中の子どもたちが、海の怪物はクジラだと思い込んだのだけど、ベニーニ版は文字通りのサメ(Pescecane)の姿に戻している。けれどもあれはやっぱり露骨にサメすぎた。そもそも、原作者カルロ・コッローディの意図は「死の商人」(Pescecane)を連想させる怪物なのだ。その意味で、ガッローネ版は見事な海の怪物ぶり。まあ難を言えば「犬魚のサメ」(pesce-cane)というよりは「猫魚のアンコウ」(pesce-gatto)に近い気もするけれど、それはそれでよいと思う。

コッローディの原作には「死の商人=犬魚のサメ=pesce-cane 」のようなジョークを映像化する奇怪さがある。オオチャの国で遊び呆けていたらロバ(asino)になるというのもそれ。イタリア語で「asino」は「ロバ」だけれど、人間に対しては使えば「バカ」となる。まあ、日本語でも「馬」と「鹿」だけど、それが現実になると奇怪なホラーだ。

その意味で「モノ言うコオロギ」(grillo parlante) は、そもそも可愛らしいモノじゃなくて鬱陶しいもの。だからあの映像にような、それこそ「虫に触る」ような気持ちの悪さが重要。暗いところにいるやつなんだよね。

ロッコ・パパレオのガット(猫)とマッシモ・チェッケリーニのヴォルペ(狐)もよかった。パパレーオは映画監督としても知られているし、チェッケリーニの演技はピエラッチョーニの『踊れ!トスカーナ』(1996)以来。そのチェッケリーニのクローズアップでフィレンツェ方言でベラベラしゃべらせるところがガッローネ流。パパレーオはおうむ返しだけだけど、アップにすると顔が強烈な印象を残す。だからこの二人なんだな。
YasujiOshiba

YasujiOshiba