冒頭うなぎシーンは最高で、作り手の執念が伝わる愛すべき作品。でも、原作ファンとしては改変部分が納得行かず感情離反。評価されている演出も惜しいと思ってしまった。
離反ポイントは何処かというと・・・
↓ネタバレ
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↓彼岸花は良かった
最初の感情離反は、台詞で説明しまくる違和感。「うなぎが食べたいと言ったにちがいない」と推察する原作なのに、母がハッキリ明言。
ダメだ。全部ゴンの勝手な空想で、思い違いだという可能性を潰しては。
死に際に願ったうなぎを食べ損ねた母。最後の願いを叶えてあげられなかった兵十。これらが全て、ゴンの一人勝手な思い込みかもしれない。その可能性があるからこそ読後に、今度は兵十視点の「何故この狐が栗をくれたか?」という思索が始まる。はたして兵十は、うなぎの精力がつかず死なせた過失をゴンが償おうとしたと、思い至るか?例え、ゴンの誤解でも、例えば単に自分がうなぎを食べたかった場合でも、ゴンの想いを汲み上げる事は出来るだろうか?いや、そもそもこの伝承が存在するということは・・・
こんな風に原作は、空に立ち上る哀しみを持つ。視線の先に正解は見えずとも、それでも想いをはせる力こそ、殺害という実在する悲劇を乗り越えるための人間の能力だと、広く一般化して原作が伝えるからだと私は思う。
本作は違った。このスイッチ入るともう減点批判になる。「はりきり」とか台詞なくてよい。昆虫たちも説明過多(=うるさい)・・・うんぬん。
とはいえこれは原作ファンの偏愛。最初に述べた通り、愛すべき作品であるのは違いない。