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イン・セイフ・ハンズのchiakihayashiのネタバレレビュー・内容・結末

イン・セイフ・ハンズ(2018年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

 ある匿名出産のケースをめぐって、生まれてきた赤ちゃんのためにいわゆる社会福祉を担う多種多様な女たち男たちがどんな奮闘をしているかをドラマ化した群像劇。匿名出産は(最近は日本では「内密出産」と呼ばれてもいるようだが)、かのマリー・アントワネットの兄にあたるオーストリア皇帝がこの制度に尽力したという歴史がある。舞台となったフランスでは1993年に法制化され、全国どこの病院でも受け付けられている。

 破水をした若い女性が病院にやって来るシーンから始まる。妊婦健診を受けたことはないという。男の子が生まれて助産師が声をかけても、女性は抱かないと言い、顔をそむける。
 病院の職員はリストからソーシャルワーカーに連絡。病室を訪ねてきたソーシャルワーカーは、自己紹介の後、手続きを説明する。2か月間は子どもを養子に出すという意志が撤回できること。子が18歳になったときに望めば産んだ女性の情報にアクセスできるのだが、どんな情報を残したいかはこれから自分が尋ねて記録すること。その子に手紙や何かモノを残すこともできること。
 翌日再び訪れたソーシャルワーカーに、女性はノートの1ページに書いた手紙を「これでいいか、読んでみて」と差し出す。ソーシャルワーカーは読んで、「いいと思うわ」と返そうとするが、「いえ、それはもう、持っていて」「ああ、そうね」。始終暗い表情の女性に、純朴な年配のソーシャルワーカー。
 一方、児童養護施設では、まず赤ちゃんを2か月余り育ててくれる里親を探すべく、里親の候補者リストからどの人に託すかの相談が始まる。

 映画が描くのは、シングルでも養親になれると制度が変更されて初めてのケースとされていて、最終的に養親になりたいと登録して8年経った女性(その間に彼女は離婚していた)が選ばれ、赤ちゃんを自宅に迎え入れるところで終わるのだけれど、この映画は私たち日本人の悲しき常識からすれば、目が点になるほど素晴らしいところがいくつもある。

 第一に、不足しているらしい里親として選ばれたのが、一見むくつけき男性であること。彼は小学生くらいの娘、忙しくも重要な仕事をしているという妻と3人暮らしの主夫らしい。里親としてもベテランのようで、実に細やかにハートフルに赤ちゃんの世話をする。

 第二に、これがなんといっても驚きなのだが、生まれたばかりの赤ちゃんに接する大人の誰もが、自己紹介から始め、「あなたを産んだ女性はあなたを私たちの手にゆだねたの」とちゃんと言葉で説明することだ。この時、赤ちゃんはモニターに繋がれていて、その瞬間に心拍数や血圧などの数値が乱れる!

 テオと仮に名付けられた赤ちゃんは、夜中もあまり泣かず、ミルクも少量しか飲まない。里親の男性から連絡を受けた担当者は、最初は耳が聞こえないのかと検査に病院に連れて行くが、聴力は正常。でも、明らかに赤ちゃんの様子はおかしい。言ってみればウツ状態なのだ。

 担当者たちは、産んだ女性に聞き取りをしたソーシャルワーカーに切迫した声で問い合わせる。なにしろ、新生児期の赤ちゃんの心身の健康が損なわれると、思春期になってから手に負えないトラブルが起きることが経験的にもよくわかっているからだ。「産んだ女性はどんな感じだったの? 赤ちゃんにあたったり怒鳴ったりしなかった?」。電話を受けたソーシャルワーカーは「産んだ女性は手紙を残したわ」と答える。「なんて書いてあったの?」「そんなこと、私が話せるわけないじゃない!」(秘密保持義務があるからね)。
 結局そのソーシャルワーカーは、はるばるテオの元に足を運び、テオに正面から向き合って話しかける。「あなたを産んだ女性はね、あなたが自分と同じように、あなたを愛しんでくれる人のもとで幸せに育って欲しい、とあなたへの手紙に書いて残しているのよ」。この時、テオはベビーベッドに寝かされているのではなく、ちゃんと起きて座っている。

 そしてテオはミルクを飲みはじめ、夜中に泣き声で起こされた里親の男性が「なんだい、お腹がすいたのかい?」「さあさあ、もう一度寝ようぜ」と寝ぼけマナコで応じるまでになる。

 第三に、テオを取り巻く児童福祉のプロたちが素晴らしい。個々の人間としてはいろいろ揺れ動いても、プロとしては一本筋が通っている。職業柄、ケア・ワーカーとして困難を抱えている人たち−−赤ちゃんや子どもも含めて−−に繊細な思いやりをもって接するのはもちろんだけれど、同僚たちの間では「ああ、もう、今日の私の仕事は終わりよ!」と言い捨てて帰宅したり、新人の鈍い反応を叱り飛ばしたり、養親を選ぶ会議では時に感情的になって激論を交わしたり。
 養親の候補者に苛立ちをぶつけられもすれば、面談で緊張して取り繕うとするカップルに、「私たちは決して完璧な人間を求めているのではないのです。人生にはアップアンドダウンがあるのが当たり前。それをどう乗り越えられるかが大事なのです」と冷静に諭すことも。

 監督はその後も修復的司法についての群像劇を撮っているようで、社会的な関心が強い人らしい。言わば社会問題を〝啓蒙〟的に物語化しているわけだが、こんなふうに説得力をもって描かれると、心が動かされると同時に、自ずと観客の考えも深くなろうというものだ。
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