2024-26
脳裏にこびりつく印象的なドキュメンタリー
議論とは、相手を負かすこと、論破することではない。本来はそうであるべきなのだと考えさせられる。
右翼・左翼と政治的な思想な差異はあったとしても、その対立が本質ではないと内田樹が言うように、それはそうであろう。
それにしても三島由紀夫の物言いと芥正彦の物言いは貫禄がある。三島のタバコに火を付ける芥のシーン、本来的に敵対的にあるべき姿とは到底思えない。
思想が折り合わないから、相手の意見に耳を傾けない、そうではない。芥も言うように相手に敬意を表することも会話である、という言説も説得力がある。
“媒体として言葉に力があった時代の最後“
この言葉の重みがある。本当にそうなのだ。
現代以降でこのような場は2度と生まれないとまで思う。権力の一極化は間違いなくこの時代からは進んでしまった。観衆も皆議論を知っている。そこに嘲笑的・嘲りの笑いはない。
同じ言語を扱っているはずなのに極めて高度、ただ鼻につくインテリジェンスで相手を打ち負かす、そうではない、そうではないのだ。
人間同士の本当のぶつかり合い。
反知性主義を説くのに知識がないといけないという皮肉。
熱と敬意と言葉。