まさか

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のまさかのレビュー・感想・評価

4.5
1969年5月13日、東大駒場キャンパス900番教室で、三島由紀夫と東大全共闘の学生1000人が社会変革、天皇制、自らの理想などを巡って激論を闘わせた伝説的な討論会。本作はその模様を記録したTBSの映像を軸に、各界識者のインタビューや資料映像を交えて編集したドキュメンタリーである。

討論会の4か月前、1969年1月18日〜19日には東大本郷キャンパスで安田講堂攻防戦があったばかり。文字どおり世情騒然とした時期だったが、三島は全共闘の木村修の要請に応じて会場に現れ、討論会に臨んだ。

本作の白眉は三島由紀夫の言葉である。現在も演劇活動を続ける芥正彦(全共闘一の論客と言われた)はインタビューでこの討論会について「言葉が力を持っていた最後の時代」と語った。その言葉どおり、三島は目の前の学生たちと真摯に議論を闘わせようと試みていた。

僕は天皇制に関して三島と真逆の立場に立つが、三島の言葉の凄みには終始圧倒されっぱなしだった。思想的に対立する全共闘の学生たちと議論を共有できそうな接点を探すべく真摯に語りかける姿勢に、本物の知の巨人を見た気がする。

木村修は三島に参加を要請した際に、討論のテーマをいくつか提示したはずだ。だから三島はあらかじめ話すべき中身について準備はしたのだろう。だとしても実際の討論の場において、学生たちが発する質問に応じて即座に持論を展開できる頭脳の明晰さには驚くべきものがある。

三島が1000人の学生たちに投げかけた大きな問いかけは「君たちは頭で考えるだけではなく、その思想を腹の底に落とし込んで運動に身を投じているか」「君たちの思想と行動には魂が宿っているか」「頭を使って組み立てた積み木の塔に満足するのではなく、そこに命を吹き込んだか」ということだったのではないか。そのメッセージは、思想的な立場を超えて学生たちの幾人かには届いたのではないだろうか。

『葉隠』を終生座右の書とした三島には、思想を行動で裏づけようとする覚悟があったように思う。言葉に魂がこもっている。他方、全共闘の学生たちの言葉にはあまりリアリティが感じられなかった。彼らの言葉は頭の中だけで構築したフィクションの地平から発せられているように感じられた。どこまでも借り物の言葉という雰囲気が拭えない。若さの限界なのかもしれないが、三島との対比においては、残念ながら迫力に欠けた。

文学者の仕事は言葉という道具を使って精緻な虚構を作り上げることだ。しかしそのフィクションが単なる嘘では、人の心を揺さぶることはできまい。その「嘘」には魂が宿っていなければいけない。三島作品が今日に至るまで多くの読者を惹きつける理由はその辺りにあるのかもしれない。

討論を見て、言葉の恐ろしさについて考えざるを得なかった。言葉を発する人物に実体的な裏付けがなければ、その言葉が上辺だけのものであることが露呈する。逆に、その人物に実体的な裏付けや、時間をかけて積み上げてきた何かがあれば、言葉は説得力を持って迫ってくる。言葉は、単なる言葉として相手に届くのではない。言葉は、それを発した人物の身体性を伴って相手に届く。だから誤魔化しは効かない。言葉を発する人間が本物でなければ、その言葉もまた底の浅いものになるしかない。だから言葉は恐ろしい。

三島由紀夫の言葉には確かな魂が宿っていた。学生たちとの応答の際に、決して誤魔化さない、はぐらかさない、逃げない。一語一語がどこまでも真摯で重く、深い。同時に、ユーモアや優しさも感じられる。先ほども触れたが、それは三島が作家人生のなかで常に自らの思想と行動を一致させようと苦闘してきた証でもあるだろう。言行一致の極め付きの姿とも言える。

だが、言行一致を全うしようとする思想が三島自身を死に駆り立てた。三島は言葉で世間に対峙しようと試みたが、最後の最後に言葉を捨てた。否、言葉を捨てたというよりも行動を優先したというべきか。それにしても、そこには大きな飛躍がある。なぜ言葉を諦めてしまったのか。最後まで言葉で世間に挑めばよいものを、それを放棄してしまったのはなぜなのか。

当時、数々のインタビューに答えて語っていたように、戦後日本社会が経済の発展だけを追い求めて軽佻浮薄化する姿と、通俗に堕した戦後の天皇制に対する絶望感はあったにしても、果たしてそれだけだったのか。本人は自決することで自身を全うしたのかもしれないが、本作を観てもこの謎は解けなかった。
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