大道幸之丞

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

山本直樹「レッド」そして同じ全共闘時代の時間軸を捉えた本作品。私はこれらの「全共闘時代」に関わった者たちを不必要に「英雄視」する事に抵抗がある。

振り返れば日本の革命運動はゲバラをはじめ海外のそれと比較してもその「相場感のなさ」に愕然とする。局所的に迷惑行為を繰り返し警官を殺しているだけで、根底にある哲学性もいかにも男性が陥りやすい「理論が整っていれば成功する」という若年固有の「視野の狭さ」の限界がある。結果理論に振り回され、殺人さえも自己肯定し始める様相。これでは何をどうしても国家に敵うはずもない。

——さて、そんな全共闘と本来対極にある三島由紀夫を招いた本ドキュメントは疑問も多い。本来「首から上」と表現し「頭でっかち」である様から三島は学生を本来好んでいなかった。

敢えて言えば東大出身の三島にとっては「母校と後輩」という因縁もあると言えばある。この映画で圧倒的に三島由紀夫と丁々発止の議論を交わすのはだれが観ても芥正彦であろう。芥はそれでいて観念の遊戯を好む人物ではないらしく、充分に三島に「受け止めてもらった」事で自ら場を辞す。

ただし余りに噛み合った議論が故に実効性を感じる議論ではなく「例え彼らからの質問を全て受けきった所で何か日本は変わるのだろうか」とひんやりとした気持ちで「空疎」と観る自分がいた。

本作では来場の礼を電話で入れた木村修に「楯の会に入らないか」と持ちかけられた事実が明かされた。三島に請われ横にいた彼女と電話を変わるや「あなたは木村くんを愛していますか」と問われ「はい」と返事したことが理由かどうかはわからぬが、三島は諦めたようだ。

初公開と呼んでも差し支えないほど新たな画像を観たが、やはり三島は小柄で華奢なのだ。精一杯の筋肉をボディビルで盛り上げてもどこか「滑稽さ」を感じる。筋肉を見せたいが故にタイトな服好むのだが、それが結果的に逆効果にさえ感じる。腰周りといった骨格部が人並み以上に細い。むしろ背後に映る(のちに三島と自決を共にする)森田必勝の方が風格がある。

結局三島による憂国と全共闘とは果たしてなんだったのか。

私が観るに結局完膚なまでに叩きのめされた「戦争の敗北感」からのストレス、その相手である所のアメリカに対する子供じみた「駄々っ子」のように思えて仕方がない。

現代に於いてはこの日本に彼らの残した形跡も一切なく、「意味があったのか」と問われて「あった」と答えられる者が果たしているのだろうか。