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モルエラニの霧の中のニューランドのレビュー・感想・評価

モルエラニの霧の中(2019年製作の映画)
3.5
✔️『モルエラニの霧の中』(3.5) 及び『美式天然』(3.3)▶️▶️

 以前は、地方の工場勤めだったせいもあるが、1.2ヵ月映画を観ないことも普通だったが、今は長くても10日以上映画を観ないとそろそろと思うようになった。それでも休みの日に東京に出るのは面倒で、徹夜あとでも仕事帰りの方がいい。あくまで軽く、少々寝てもの作が最適だ。ノーラン・ランティモスやカウリスマキ・エリセはつい敬遠する。今は韓国系加人作を観たい気がする。
 ふっと、今まで全く知らなかった監督特集に行く。やはりウトウトだが、ついでに2本目(製作的には長編では4本目最新作、現在続編をiPhoneで撮了・編集中との事)の、大長編『デカローグ』似で映画的にはより出来のいい、『モルエラニ~』まで。監督本人は映画の作り方も知らないど素人でといってたが、どうしてどうして、流れ・構成・構図・カット組・カメラワーク・画面サイズや色彩モノクロ切り替・音楽・台詞やテーマ、ヌーヴェルヴァーグ以前の堅実でゆとり感慨のフランス映画、或いは最近の林海象やノーランの奇手故の確かな膨らみスケール、レベルを事も無げに正確に実現している。ウトウトしながら観ても存分に面白いし、ハイクラス感がある。
 同じ「寂しさ」感覚を好ましく描き、ひとつ前に観た長編処女作と同じく映画として一流だが、更に本作はプロの俳優の割合が増し、台詞と流れの滑らかな説得力、オペラ間奏曲も含めた音楽の機敏の連なり、室蘭近隣特定の近場や時制の細か行き来を中心とした風土・季節感・伸びやかスケール動感、がよりナチュラルに滲みてくる。映画の風格がより上。今は亡き名優らの最後の姿も偶然か、数多く記録もされてもいる。季節推移を追っての7話のオムニバスだが、内容的に被り困惑感もあるので5話くらいの感。
 身体一部や道具・荒め浜辺の思わぬアップめから入る感覚と半ばイメージ入れのクラゲ群や桜大木・木馬群らの特異図との差異少、縦の構図のどんでんや切返しの正確さに更に90゜変が固める・細かめの角度やサイズ変連なりも急ぎ感なく多彩でかつ纏りいい、また大Lや俯瞰・仰角・場の変化を滑らかに取込み、フォローや主観めや車窓・なだらか大掛かりやスピーディの自然で無理ないカメラ移動やパンティルト・時に揺れ揺らぎ、カラーは抑えめも(灯や陽の)赤め・(夜や大自然の)青や緑が画面を引き締め鮮やか、像も水面に(逆さに)映る揺らぎめ多挿入(時に手鏡)、画面Sサイズやモノクロは1エピソードをとおしての物も。
 クラゲや桜や虫・「何のための生か」絵本や預り遺灰らを通しての命や姿を失ってもの転生観の・人生への流れ込み~転居や新人生や一旦別れ、倒れた写真館主人が届け得なかった写真届けや8ミリ映写・展示SL・旧ピアノ・掛時計を通しての過去蘇りや世代繋がり、音楽と匂いと視覚の刺激する果たせなかった願いの実現仕方、様々な偶然の出逢いや再会・それは映画の展開上の再話題化においても。
 ウトウトしてたので特に時制行き来の細かさ・連関がよく分からないが、再見したい気はない。半端理解でも心地いい。その分、映画一般、名画志向に流れめか。
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 長編処女作『~天然』は、スタンダードサイズ作でモノクロ主体で、何年もかかった右も左も判らず作との事だが、いやいや、深い縦の図・扉狭め越しの図・どんでん・切返し・アップ入れや角度ズラし変連、ら後観た近作以上に、映画としてのケレンと一体的力がある。ベースとなる、弁士・楽隊付きの、絵トーンもくぐもり、語りも演技も大芝居の昔の悲恋・恋敵や階級横やりサイレント映画は、ちょっと理解が単純で困るが、カラーの客席からの図は美しく、のちの時代の観客や・ドラマ部分の父や祖父との時代超えて再会する母娘(劇中映画と同女優)の部分との関係性もいい。カメラは固定主体も、時おりのブレ揺れ・高速移動らへの変移が見事。よりストレートに映画館界隈が舞台(絵画の中身も)だが、浜辺のステージ、吹奏らしながらの行進の足や仮装人の列、寺山やフェリーニらの文句無し映画の愉しさに至るのが、反面の寂しさも併せ、映画として圧巻・素晴らしい。個人的な趣味感覚とはズレるが、客観的には映画としていい。
「空など青は手が届かない。昆虫採集は命を奪うが、失われてく記憶が、留められる。思い出の数だけは、許されるのさ」「夏が何時までかは人が決める。今夏、最後の商品や合図鈴を渡す。来年、夏が来たと思ったら、放っていておくれ。拾ってアイス屋をまた始める」
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