アラサーちゃん

燕 Yanのアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

燕 Yan(2020年製作の映画)
3.5
あの頃、五歳の彼にいったい何ができただろうか。

予備知識を一切なしに鑑賞する。作品の主な舞台は台湾。白にも黒にもなれない、日本人なのか台湾人なのか自分自身がいちばん誰かに教えてほしい主人公の燕が、病気で気を伏せた父の頼みで生き別れになった兄・龍心を尋ね、台湾に向かう。

台湾映画はわりと好きだ。日本にはない独特の湿気と雑音にまみれた世界観がどうしようもなくツボに入るので、その匂いや湿度や色合いがスクリーンから浮かび上がってくるように観られるだけで当然楽しい。
と言いつつ、私のなかに構成される台湾映画と言えばほとんどエドワード・ヤンに絞られる。風景の良さもさることながら、スクリーンに収まる絵面といえばいいのか、切り取られる世界がまるでそのまま芸術というくらいに完璧な構図でため息が漏れるほど素晴らしい。光と影の陰影も、登場人物たちのミザンセーヌも、全てが計算しつくされたような至高の芸術品。ストーリーも良いけれど、映像を追っているだけで幸せになる感じ。

とりあえずエドワード・ヤンは置いておいて「燕」の感想を述べると、さすが監督が本来撮影監督をやってらっしゃるだけあって、ヤンに劣らないくらい素敵な映像シーンの数々。
ヤンの映画ではガラスを効果的に使ったシーンが多いなと感じたことがあったのだけれど、この作品において窓は重要なアイテムになっていると思う、というかこれは結構「新聞記者」を観た時にも感じていて、窓から差し込む光を用いた陰影がもたらす効果がとにかく大きい。これは惹かれる。アバンタイトルの時点で気になってはいたのだけれど、まさかラストシーンのフラグになっているとは思っておらず、感服。
窓越しの、外の世界は明るくて中は暗いんだよなあ。外の世界にばかり目が行ってしまうんだよなあ。自分がいる中の世界は恵まれないように思えてしまうんだよなあ。
それがラスト、兄弟がお互いこれまで胸のなかにくすぶり続けていた本音をぶつけ合ってたどり着いた、母の想いに気づいたとき。晴れやかなふたりの表情は、窓の外の光に明るく照らされる。「新聞記者」にもあったわけだけれど、こういうシーンにわりとわかりやすくジーンとしてしまう。

そして、ワンシーンにおけるカットの多さもとにかくすごい。燕がただ歩くシーンにしても、前方から、後方から、斜め横からのアップショットはもちろん、フィックスで画面を横切っていくロングショット。父やトニー、ユウアンと向き合うシーンの切り返しだけでも面白い。
だからこそ、フラッシュバックのシーンがとても活きる。父親が改まって頼みごとを口にする瞬間と、ずっと開けずにいた宝箱の厳重な封を切る瞬間。父親から渡された封筒を開ける瞬間と、宝箱を開ける瞬間。いまの兄と幼い頃の兄のフラッシュバックはもちろん、オープニングの伏線を回収するラストシーンも圧巻だった。

個人的に好きだったのは、トニーのお店で出会うおじいさん、「どうして燕は高雄に来たの?」と尋ねられた燕の答えをトニーが遮るシーン、燕の質問に対するユウアンの答え。
あと、実家に帰った燕の駅のシーン。ボロいしどことなく田舎臭いし、なのに小さな無人駅の改札にICカードが導入されているというちぐはぐ感。あの駅、良いなあ。幼い頃の記憶を鮮明に残した燕が、心を空白にして生きてきた時間の長さを象徴するようなシーンだった。

以前、是枝監督が「真実」を撮るに際して出合った様々な日々のことを書かれた手記のようなものを読んでいて、日本映画の大筋を外国で撮るって、いろんな障壁を越えなきゃいけなくて大変なのね…とまざまざと思い知らされたところだったので、この映画を撮るにあたっても大変な苦労があったのだろうなと想像する。フランスと台湾ではまた勝手が違うだろうけれど。それはそれ、これはこれです。でも、その苦労(であろうもの)も無駄にならない傑作でした。