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耳をすませばのbluetokyoのレビュー・感想・評価

耳をすませば(2022年製作の映画)
2.0
2024年5月10日 21:00~ 日本テレビ 
耳すま実写版が、公開されたとき、こういうことは書きたくはないけど、この監督さんの力量じゃあ、はなからムリだな、と思って見はしなかった。ようはカネを払って見るようなしろもんではないということだ。ただ、ちから及ばず、結果的に凡作になってしまった、というよりも、耳すま実写版となれば、内容はともかく、話題性だけで、ある程度の集客は計算できるわけだし、なんていうモチベーションで作成していたなら、嫌な感じだ、とは思う。前半と一番最後は、ちょっとよかったけど。

もし、ジブリ版の耳すまをなんとかするなら、実写はともかくとして、ぜひやってもらいたいのは、柊あおいさん原作のコミック、「耳をすませば」に忠実な劇場アニメだ(耳すま実写版で、雨に降られた雫を聖司くんが傘に入れてやるシーンがあるが、このシーンはコミックにある)。

柊あおい原作版「耳をすませば」は、それなりに味があっていい作品なのだ。だが、それ以上に、ジブリ版の耳すまとは、テーマがまるで違うのである。テーマが違うので、耳すまの続編というかスピンアウトというか、のアニメ「猫の恩返し」が凡作になってしまった。
ちなみに、柊あおい原作コミック、「バロン 猫の男爵」(猫の恩返し)というのがあるが、こちらの方が、はるかに完成度が高い作品となっている。
また、同じテーマで、知る限り二冊ぐらいコミックがあるので、そういった意味でも、柊あおい原作版「耳をすませば」を、そのままのテーマで劇場アニメにする価値はあると思う。

では、ジブリ版の耳すまは、どんなテーマで、なぜ、見る人の心を突き動かすような傑作なのだろうか。

まず言えるのは、ジブリ版の耳すまは、高畑勲監督「平成狸合戦ぽんぽこ」の、アンチテーゼ的な続編になっている点である。

「平成狸合戦ぽんぽこ」の内容をざっと述べておく。多摩丘陵の再開発によって追われたタヌキの話である。最後、タヌキはドロンと人間に化けるわけだ。
素朴でちょっと風刺の効いたファンタジーなわけであるが、ちょっと待ってくれ、という感じもする。そんな簡単にドロンぐらいで、人間の生活は、成り立っていないのである。そこが、アンチテーゼなのだ。
そのアンチテーゼを作品にしたのが、ジブリ版の耳すま、ということになる。

だから、ジブリ版の耳すまでは、人びとの暮らし、生活が、徹底的にリアルに描かれている。
さらに、描かれているのは、1995年の時点なのだが、実はあちこち、多くのところで微妙に古くしてある(携帯電話が出てこないところとか)。10年前ぐらいだろうか。1980年代、つまり、日本が最も幸福だったころである。懐かしいわけである。

月島雫の家庭である。貧しそうな団地暮らし。父親は、図書館司書かなんかだが、家に本がどっさりあって、おそらく、学者かなんかになりたかったのだろうが、まだ、その夢を捨てきれないらしい。しかも、母親まで、いい歳をして、学校(大学か大学院)に通っている。
月島雫が、夢見がちだったり、受験間近なのに読書を止められなかったり、しかも、いきなり、小説を書きだしたりするのは、まあ、こういう家庭環境なら、やむなしなのかも、と思えてしまう。姉貴は、早々に自立して出て行く。

天沢聖司くんの目指している夢、ヴァイオリン職人なのだが、よくこういう設定を探してきたなと本当に感心してしまう。そこに至る道は、そうとうに厳しいけど、もし、そうなれたら、やりがいもあるだろうし、かなり身持ちも堅そうな職業なのだ。

一方、月島雫は、高校受験、さらにその先にある大人社会に直面して、本を読むことしかすべを知らないわけで、不安定で、不安を抱えているのである。そこに、身持ちの固いヴァイオリン職人を目指している聖司くんが現れれば、当然、惹かれることだろう。

逆に、聖司くんからすれば、まるで生活力がなく、ふわふわと夢見がちな月島雫が、コンクリートロード♪ などという、本質を突いた歌詞(まさに多摩丘陵の再開発)を作ったりすることに惹かれてしまうのだろう。

ジブリ版の耳すまの設定年、1995年(ただし、描かれているのは1980年代)は、日本の社会が坂道を転げ落ちているんだと、初めてはっきりと自覚した年である。
タヌキがドロンと化けて解決したりはしないのである。
幸福な1980年代には戻れないのである。帰りたい、帰れない、さよなーら、カントリーロード♪ なのである。

このように、当時の時代背景をここまで深く読み通し、普遍化するまで考え抜いたからこそ、ジブリ版の耳すまは、傑作たり得るわけである。

とくに、すごいなあ、と思うのが、聖司くんが、ヴァイオリンを演奏するところだ。演奏家を目指しているわけではないが、ヴァイオリン職人としては、そこそこには、ヴァイオリンを演奏できるらしいものなのだ(音を出してみたりとか?)。演奏家でもないのに、ヴァイオリンが弾けてしまうというのが、なんとも、プロっぽくて、かっこいいのだ。しかも、カントリーロードなので、即興演奏なはずだ。
(逆に、プロの演奏家なら、この何十倍もの才能と運に恵まれなければならないということでもある)
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