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バトル・インフェルノのSSDDのレビュー・感想・評価

バトル・インフェルノ(2019年製作の映画)
3.0
■概要
身勝手な男は神父を名乗り、悪魔祓いの真似事の配信で友人と生計を立てる。
ある日いつものように配信を始めようとすると、キャストが現れず、スタッフの一人を代役に開始するが、いつもの演出効果ではなく、本物が取り憑いてしまう。
ペテン師が本物の悪魔と対峙することになる…。

■感想(ネタバレなし)
フォロワーのkuuさんのレビューが秀逸で期待値を上げてしまったためか、ちょっと期待し過ぎた。B級作品と割り切って観れば出来は良いのです。

…とはいえ擦り倒された悪魔祓いのジャンルに対して、ペテン師がモノホンと対峙したらどうなる?というストーリーの着想自体は面白く惹きつけられるものがあります。ステレオタイプなキャラクター達もわかりやすくとっつきやすい。

カウチポテトな作品として観れば及第点なのですが、いかんせん中盤がぐだぐたなのと、法則性が見えない制限性の無さが勿体無いところ。

ゴアもそれなりにあるので耐性は求められますが、かなり観やすいホラー作品なので、すぐジーザス!と叫んでしまうほどの宗教的要素の高さはない日本人にはさらりと観れる作品です。













■感想(ネタバレあり)
・モノホンとニセモン
まず初めにペテンで行う際の悪魔祓いのクオリティを高くし過ぎて、本物が出てきた時の演出と大差ないのが緩急なくて頂けない。
わざとチープな演出に留めて、なんだ大したことないなとなってからのモノホン登場時に演出強めにすれば印象も大きく違う。
元々メタ構造で映画の中で番組を撮って、ギミックを使っているのだから、本物悪魔とギミックの差を大きくしないと現実感が薄い。

・悪魔の規則性と制限
ドラキュラは様々な制約・制限を課していて能力の幅を無制限ではないことで共通認識があり楽しめる。
悪魔となると物理攻撃、幻覚、サイコキネシスなんでもありですよ!と能力に制限がなくしてしまうと、"じゃあそもそもサイコキネシスで皆殺しにすれば?"とか"幻覚と現実の差がわからん"など様々視聴側に疑問が湧いてしまう。

例えば物を思念で動かすのが得意だが、幻覚は使えない。物理、幻覚、サイコキネシスが可能だが、取り憑いた人間が歩いた範囲しか有効ではないとか制限をかけるべき。全知全能を前提とすると興醒めする。

・目的
電波に乗り大人数に拡散して乗っとるのが目的でしたーってなら初めの取り憑きはどうやったねん!って無粋なツッコミをしたくなる。
ペテン師も覚醒するわけではないし、バッドエンドなんだがなんかカタルシスを感じれなかった。
SNSを巧みに利用したどんでん返し?という風には腑には落ちなかったかな。
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