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ストレンジ・フィーリング アリスのエッチな青春白書のkuuのレビュー・感想・評価

3.9
『ストレンジ・フィーリング アリスのエッチな青春白書』何やねんこの邦題は!!
クソっっっHEEEEYYYY あァァァんまりだァァアァ AHYYY AHYYY AHY WHOOOOOOOHHHHHHHH!! せっかくのおおおおェェェェェ内容ォォォォォがァァァァァ~~~~!!
原題 Yes, God, Yes. このままでエエのにぃ
製作年 2019年。上映時間 78分。

Netflixドラマ『ストレンジャー・シングス』のナタリア・ダイアーが主演を務め(親友役には同じく『ストレンジャー・シングス』ヘザー役のフランチェスカ・リールやった)、性に興味を持った真面目な女子高生が巻き起こす騒動を描いた青春コメディ。
共演は『ザ・ハッスル』などのティモシー・シモンズやドラマシリーズ『13の理由』などのアリーシャ・ボーら。
2017年にオンラインで公開された同名の短編映画、『Yes、God、Yes』(2017)の長編映画化。

2000年代始め、アメリカ中西部。敬虔なカトリック教徒である16歳のアリスは、パソコンでのチャット中にエッチなやりとりに発展したことをきっかけに、性に興味を抱きはじめる。
そんな自分の衝動を抑えようと教会の合宿に参加するが、イケメンとの出会いや男女が仲良くしている様子を見て妄想は膨らむばかり。
彼女の行動は周囲を巻き込み、大変な事態へと発展していく。

今作品冒頭に
As for the faithless and sexually immoralーーtheir portion will be
In the lake that burns with fire and sulfur, which is the second death.
不信仰な者や淫らな者は炎と硫黄の池で報いをうける。
(ヨハネの黙示録/ 21章 08節抜粋
アマゾンプライムビデオ和訳より実際はもうちと長い文章)
と仰々しいテロップが出たあと、『サラダる』と聞きなれない言葉の意味の説明が続いてテロップで流れた。
サラダ記念日を彩る

サラダる❌
この和訳の日本語『サラダる』って初めて聞いた。
英語ではTossing Salad.の表現はしってる。(文章でもある)。
意味は舌で肛門の外側を縁取るようにアナルを責める(攻めるかな)。
舌で肛門部を突く。
唇、舌を使ってアナルをなめたり、突っ込んだりして性的興奮のための行動である。
よく冗談として揶揄うため使われている表現やけど、サラダにドレッシングをかけて混ぜ合わせる時、一度持ち上げて優しく落とすように混ぜる一連の動作から、エロ用語が生まれたのは、何となく推測できてわかる。
アナル攻撃若しくは守備の経験はないがわかる。
が、
Tossing Salad=サラダる
って和訳なんやねん。
Tossing Salad=ソドミー(具体的にはオーラルセックス、肛門性交
)でエエんちゃうんかい。
空(kuu)=Nothing
の仏教用語の英訳より大ざっぱ。
因みにソドミーとは旧約聖書のソドムの町(ソドムの街の人々の罪悪のために、ゴモラの町とともに神の火に焼かれて滅びたという
)の物語にちなむ。

まぁ、兎に角、主人公アリスは『サラダるっ』て俗語を知らないって云うよりもエロ用語を知らないほどの純粋培養少女。
無邪気な少女から世を忍ぶ大人への変遷を鮮烈に描いた、タイトルとは裏腹に実に堅実な青春ドラマでした。
組織的な偽善と個人の成熟という視点を併せ持つこの作品は、云いたいことは沢山ある作品ですが、ほとんどの場合、悪くない物語を彩っています。
説教臭くなく、不信感を抱かせるような攻撃的なものでもなく、純粋に魅力的で、心に響く、穏やかなアプローチをしている映画でした。
エモーショナル作品が取り上げるテーマとしては奇妙に聞こえるかもしれへんけど、若き主人公アリスが自慰の快楽を発見することは、彼女の青春のメタファーとして使われてて、彼女がずっと指示されてきた世界が実は全知全能ではないことを発見する。
この発見をきっかけに、彼女は厳格なカトリックのコミュニティに対して静かで力強い反抗を始め、より広い世界に心を開き、また、彼女に厳格な道徳を教えようとする人々がいかに偽善的な行為を行っているかという現実に直面する。
まぁホントにストイックに生きる人も沢山いるんやろけど。
今作品は、カトリックやカトリック教徒そのものを攻撃しているのではなく、むしろこの宗教の極端な部分を利用して、特定の慣習やイデオロギーがいかに若者にダメージを与え、偽善的になり得るかを示しているんちゃうかな。
ナタリア・ダイアーは、純粋培養された純真なティーンエイジャーとしても、静かに反抗する若者としても説得力のある素晴らしい演技を披露していました。
特に、彼女が生い立ちの束縛から解放され、反撃を開始すると、どれだけ自由になれるかを考えると、彼女を通して、年長者の偽善がもたらす傷ついた影響を本当に理解できる。
ダイアーが終始面白くて魅力的で、時には非常に重い作品になりそうなところを、ソフトで甘い存在感で表現してます。
過激な教育がもたらす結果を描いた『ミスエデュケーション』(2018年)ほど強烈なドラマ性はないけど、ハードな内容であるのと同様にカリスマ的で楽しい作品でした。
2000年代のノスタルジーが心地よく漂う今作品は、パンチの効いたサクッと78分間で、たくさんのドラマと示唆に富むテーマが主役となり、非常に楽しい作品となってますした。
主演のナタリア・ダイアーの演技もよかったし、彼女のカリスマ性とドラマチックな才能の融合が、この映画の辛辣なメッセージに高揚感と感動すら与えてくれてます。
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