るるびっち

マリグナント 狂暴な悪夢のるるびっちのレビュー・感想・評価

マリグナント 狂暴な悪夢(2021年製作の映画)
4.4
怖がって良いのか、爆笑して良いのか迷う。
しかし不思議な爽快感があり、最後は姉妹ドラマに感動する。
不思議な感覚の映画。
創作というのは、こういう新感覚と言うか不思議な感覚を体験させたり、観客の知らない感覚を味合わせるのが大事だと思う。
それこそ創作の役割だと思うのだ。

例えば、どうしようもないクズで唾棄すべき人物なのに何故か好きになってしまうというような、矛盾した感情を抱かせること。
こうした相反する感情や、未知なる感覚を刺激するものが創作においては肝だと思う。
コンプライアンスや常識に縛られた、昨今のテレビは面白くない。
視聴者のクレームを恐れ、大胆な事や過激な事をしなくなった。
昭和の頃に比べ、格段にテレビが詰らない。
今のテレビは、クイズ・グルメ・動物・ハプニング映像しかない。
あとは安全な芸人のダラダラ話。
よく飽きもせず、毎日食レポばかり流せるものだ。
何かとクレームをつける視聴者にも責任の一端はある。
クレーマーに忖度して、どんどん詰まらなくなった。クレーマーとは、面白い物を世の中から排除する運動家だ。
便利な物を排除する環境保護活動家に似ている。
すでにテレビは、ゾンビ状態だ。中身は死んでいる。

ドワンゴ元会長推薦の「くねくね動く変な人体CG」 に対し、宮崎駿が「障害者をバカにしてるようで不愉快だ」と激怒した。
あからさまなCGを障害者と連想する方が、歪んだ差別意識を内包しているのではないか。
そんな事を言ってるから、新しい感覚のものが出てこないのだ。
自分だって、『未来少年コナン』でロボノイドの指を4本から5本にテレビのルールで直したじゃないか。
日本のロボットアニメで4本指はタブーなのだ。
障害者への配慮だが、そうやってルール化する事が下らない。
上っ面の配慮で、表現を規制して良い物だろうか?
ロボットの指を障害と結びつける、歪んだ思想の方を撤廃すべきではないのか?
社会的配慮は最後に考察するとして、まずは目新しい物の芽を摘まない事が肝要だ。創作とは思い付きだ。形になる前に難癖つけて潰すな。
その奇妙な動きを発展させれば、何か新しい物に繋がったかも知れない。社会的配慮によるコントロールはもう少し後で良い。

『回路』で黒沢清監督が、ただ歩く女性を奇妙な動きで見せた。
違和感のある動きと言うのは、それだけで怖さに通じる。
そういった小さな発見が大事なのだ。
本作でも、違和感のある動きが展開する。
そして、最後にその謎も解ける。

ドワンゴの元会長が、直感的に喜んだCGの奇妙な動き。
あの無邪気な感覚こそ大事で、それを育てれば何かに繋がる。
いきなり社会的な視点で、小さな発見や萌芽を摘んではいけない。
何故なら、その小さな発見は中々見つからない物だから。
それが、形を変えて成長した先にあるのが新しい創作だから。
それを否定した宮崎氏は、既にあの時点で創作者ではなくスタジオ経営者の視点になっていたのだ。

一方、ジェームズ・ワンが商売人として上手いのは、アイデアや動きの面白さを創作の原点として持っていながら、ちゃんと最後は姉妹愛のメロドラマとして纏めることで、一般性を担保した点だ。
奇妙な面白さだけではマニアにしか受けない。
一般客を取り込む為に、姉妹愛や自分らしく生きる等のテーマを強調してドラマとして纏めている。
ヒットのさせ方を、よく分かっているなと思った。
最後に一言、
「マリグナントやなくてマリオネットやろ!!」
ネタバレ? 意味を知りたければ観るしかない!!
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