80年代のアメリカで苦労する韓国系移民一家の物語。
登場人物がずっと韓国語を喋っているにも拘わらず、アメリカン・ドリームについて語られた紛れもないアメリカ映画だった。
物語は監督リー・アイザック・チョンの幼少期の思い出に基づいている。
若い父、ジェイコブは成功して家族に豊かな暮らしをさせたいと願っている。そして夢を叶える自分の姿を息子に見せ、未来に希望を与えたいと思っている。同じ父親として、彼の気持ちはとてもよくわかる。
ただ少々手っ取り早く要領よく成し遂げようとするあまり、見込みの甘さが目に付く。
そのうえ地元民のアドバイスにはあまり耳を貸さず、自分のやり方での成功に拘る。過去に親切を装った他人の甘言に騙されたのだろうか、その態度は頑なだ。
夢想家の夫に振り回されて苛立ちがつのる妻が、韓国から実母を呼び寄せる辺りから映画は俄然面白くなってくる。
生活の維持に忙殺される両親に代わって、孫の面倒をみるおばあちゃんが楽しい。
子どもが喜びそうなお菓子など一切作らない代わりに人目につかない場所にセリ(韓国語でミナリ)をこっそり植え、子どもらしい遊びに付き合う代わりに汚い言葉で花札を教える。
この映画を観ていると、設定が今から40年ほど前の話であることを忘れてしまう。
あえてノスタルジーにひたることを避けた監督の演出が効いて、まるで現在進行形の出来事に思えてくる。
信仰についての見解も興味深い。
当たり前のように教会に通うアメリカ人(彼らもたぶん移民)に合わせて、ジェイコブ一家も人脈づくりで通うものの信心があるとは言い難い。熱心なキリスト教信者を労働力として雇っているが、周りが引くほどの彼の信仰心を鼻で笑っている節もある。
人生は己の力で切り拓くもの。神にすがるなんて…と思っていたであろう主人公たちを打ちのめすような悲劇が起きて、結果的にそれが彼らの成長を促す。
前途は多難だが、これからもきっと手探りで懸命に生きてゆくであろうジェイコブとその家族を、いつの間にか好きになっていることに映画が終わる頃になって気づいた。