せいか

ミナリのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ミナリ(2020年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

12/23、GEOにてDVDレンタルして視聴。字幕版。
ミナリは韓国語で野菜のセリの意味。

1980年代にアーカンソー州のめちゃくちゃ田舎に引っ越してきた貧しい韓国人移民一家が主人公。二人の子供のうち少なくとも弟のほうは韓国には行ったこともない子供でもある。先住民が失敗して去った土地で土を耕したりなんだりをして、成功しないままでひたすら落ち目を見てきた一家はどうなるのやらという話。
作中で弟のほうが想像していた理想的な祖母像の話をしていたりするけれど、実際の祖母はそんなこともないように、現実はままならんけどぼちぼちやってこうみたいな内容だったというのでまとめられるのかもしれない。
つまらないわけではないけど、なんか惜しいかんじでかゆいまま終わる映画であった。
どのキャラクターにしろその立場というものに同情して理解は示せるのだけど、良くも悪くもある種のリアリティーがそのまま過ぎて飛び抜けるところがないというか。

開けた自然に囲まれていて、そもそもご近所さんとどれだけ離れてるのというところにぽつねんと建つ大きなトレーラーハウスが一家の家で、何も聞かされずにカリフォルニアからここまで引っ越してきた妻は物語初日からとにかくギスギスしているし、夫のほうもここで農園を築いて生活を変えることに囚われていたりで、つまり夫婦がきちんと互いに折衝するということをしないし、生活も不安定なので作中、とにかく二人の喧嘩が絶えない。最終的にとことん破滅の危機を迎えた末に、取り敢えずこの場でやっていこうというところで話は終わるのではあるけど、ずっと振り回されてる子供たちは可哀想で、特にそろそろ思春期迎える歳になりそうな姉のほうなんかはほとんどその内心が伺える描写がないのだけれど、それでも家族に対して戸惑いがあり距離感は開いてそうな感じはしてたのでめちゃくちゃストレスを抱えていそうだなと思ったし、たぶんこれからもそうなんだろうな。

いかんせん妻のほうは特にすぐにまた引っ越すことになるだろうと思ってるところはあるのだけれど、地域に根づこうとするというような描写もあって、その中で、こんな田舎でもある程度の韓国人移民がいるみたいだからそこでまとまったコミュニティーを(韓国教会という形で)作らないのかと妻のほうが仕事仲間に聞いてみたときに、ここには訳アリで流れ着いてる人ばかりだし、そもそもそういうのが嫌でここにいるんだと拒絶されたのとか、対するこの土地にあるもともとの教会のコミュニティとの比較的友好な接触とか、こういう、地域との関わりみたいなのはずっと印象的に描かれていたと思う。その希薄さも。そしてまたこの地域に住まう白人家族も円満というわけではなさそうなことだとかも伺えたり、とにかく貧乏の臭いがひたすらしてくるような映画だった。

地域交流に関してはここに居を構えることに前のめりで家族を無理に巻き込んだ夫のほうはほとんど一切の交流を持とうとせず、信心のようなものも軽んじ、自分の畑を手伝ってくれる男ともほとんど最後まで距離を取ってたりとずっとハリネズミのようでいたりもする(そうなるのがわからないわけでもないけど)。最後の畑の水を引くために最初は断った水脈をダウジングで掘り当ててくれる男を頼った描写からも、そういった距離感から脱するという意味も込められてるのかなとは思ったけれども。
夫に関しては少なくとも作中の中においては、家族が他人と関わることを考えてない感じとかもあって、そういうとこにしろ一人で突っ走っている感ひときわ強いキャラクターだった。

作中でキーとなるのが、一家が引っ越してきて間もなく、家を不在にしがちな夫婦の代わりに家を守る役目というのもあって韓国から呼び出された母方の祖母で、これがまたかなり実際にいそうな感じの、なんだかちょっと品がない感じというか、そこら辺にいそうなおばあちゃんなのである。最初に弟のほうが彼女を嫌って「韓国の臭いがする」と評していたりとか、そういう遠巻きの仕方とか、いちいちなんだか実感を伴うものだった。なんだか汚い感じがして孫に避けられる描写とかも(そしてこのばあちゃんはいちいち気にせず前向きに振る舞い続ける)。
弟のほうとは月日の経過とともに距離感も近くなっていよいよ心を許してもらえるほどにもなるのだけれど、そのあとすぐに脳梗塞を起こして言語機能と身体機能に後遺症を残す形で家に戻ってくることになって、それからは何かしようにも逆に相手の手間を増やしてしまうという存在になってしまう。冒頭時点でも、弟とのやり取りの中で既にその無能性を指摘されていたりしたのだけれど、この作品はそこをさらに強化するような展開にした上、それでも役に立とうとした彼女のせいで野菜を保管している小屋が大炎上する事故を招くということもさせたわけである。
この祖母に関しては、韓国から呼び出されたということで、つまり、かなり歳を取った身でこの一家のために住み慣れた場所を捨て、さらに国さえ離れてやって来た(しかも作中経過時間的にかなり短期間でそれを実行させられてもいる)のにそれに関して何か文句を言うということは一切なく、孫たちに嫌われていようと前向きに振る舞い続けと、言動はかなり粗雑の一言でまとまるところはあれど、作中の中でもその立場を考えてみるとかなり胸に来るものがあるところがある。彼女こそこの地に来てこの家族以外の一切のコミュニティーとの交流がろくにできない孤独に追いやられていたとも思う。健常なときも家でテレビを見て過ごしてばかりだったり。なのに、本当にずっとなんか汚い下品な祖母としてよく言えばポジティブであり続けていたのである。
ラストに自分が小屋を燃やしてしまったことで、ふらふらとこの一家から逃げるように呆然と歩き出したけれど、己の抱える無能性からもはや逃れられなくなってしまったが故の(もちろん、彼女は無能なんかじゃなく、家族の中で塞ぎ込む気持ちを抱えていた弟に寄り添おうとしてくれた優しさがあったりしたのだが)、やっと見せた弱さだと思うし、その絶望感たるやというのが突き詰めているシーンでもある。その彼女を呼び戻すのも、かつて彼女が優しさを向けた弟であるという、ラストはそういう支え合う関係性の描写となっているのだろうけれど、とはいえ、他の家族にも言えたことだけれど、この先どうなるかは分かりはしないのだなあ。抱えたものは抱えたまま生きていくのだから。
ちなみにこのラストの支え合いみたいなのも、夫婦のほうは夫婦で描かれていたけれど、ここでもやはり一人あぶれているのが姉であった。彼女にはどこまでもまあ普通のそれなりの家族の距離感程度の描写しかないのだよな。
脳梗塞後の祖母がずっとうわ言のようにタンスのほうに注意を促しているのも、そこで弟が前に怪我をしたからということを意図しているのだろうし、傍目からは耄碌した老人の、心に深く食い込んでいる思い遣りというものが感じられてぐっとくるところでもあるのだけれど、やはり、弟だけなんだよなという気にはなってしまう。

ラストにこの祖母が見つけ出した場所で種を蒔いておいたセリが大収穫できて、祖母の目の付け所はすごかったのだというその有能性の肯定で話は終わる。このセリが意味するところは「タイトルの「ミナリ」は、韓国語で香味野菜のセリ(芹)。たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている。理不尽かつ不条理な運命に倒れてもまた立ち上がる─。人生は続き、明日は必ず来ることの貴さを伝えてくれる、今こそ求めていた希望の物語。(公式ホームページより https://gaga.ne.jp/minari/)」というものではあるらしく、そういう話なんだろうとは概ね肯くところでもある。そこまできれいな話になってたかとかはちょっと思うが。
蛇の描写で、脅威は隠れているよりも目に見えているときのほうがマシだという話をしてたりとか、そういう話でもあるんだろうけど(だから夫婦はもっとお互いに折り合いつけるために話し合うべきだし、生活を脅かす貧しさの脅威は恐ろしいし)、最後まで観て残る妙なもやもやは何だろうなみたいなのを鑑賞後に引きずる。あまりにも「人生は続く」という感じを生活感たっぷりで淡々と描いているからかもしれない。それで悪いというわけではないんだけど、何かを引きずる。そんな映画だった。
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