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MINAMATAーミナマターのkuuのレビュー・感想・評価

MINAMATAーミナマター(2020年製作の映画)
4.0
『MINAMATA-ミナマタ-』
原題 Minamata.
映倫区分 G.
製作年 2020年。上映時間 115分。
ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集『MINAMATA』を題材に描いた伝記ドラマ。

1971年、ニューヨーク。
かつてアメリカを代表する写真家と称えられたユージン・スミスは、現在は酒に溺れる日々を送っていた。
そんなある日、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。
そこで彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側という信じられない光景だった。
衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンだったが、やがて自らも危険にさらされてしまう。追い詰められた彼は水俣病と共に生きる人々に、あることを提案。
ユージンが撮影した写真は、彼自身の人生と世界を変えることになる。
ビル・ナイが共演し、日本からは真田広之、國村隼、美波らが参加。坂本龍一が音楽を手がけた。

ふと、今作品をみて、孟子の『告子篇・下』の後半をを想った。(告子篇・下後半を抜粋)
天將降大任於是人也,
必先苦其心志,
勞其筋骨,餓其體膚,
空乏其身,
行拂亂其所爲
;所以動心忍性,曾益其所不能。
人恆過,然後能改。
困於心,衡於慮,而後作。
徵於色,發於聲,而後喻。
天の将に大任を是の人に降さんとするや
必ず先ず 其の心志を苦しめ
其の筋骨を労せしめ 其の体膚を窮餓せしめ
其の身行を空乏せしめ
其の為さんとする所をふつ乱せしむ
; 心を動かし性を忍ばせ 其の能くせざる所を増益せしむ所以なり
人恒に過ちて 然る後に能く改め
心に困しみ慮りにみちて 然る後に立ち上がる
苦しみが色にあらわれ 声に発して 
然る後にさとる

若かりし日に京都から九州一周の旅をしてた折り、長崎県島原港から熊本港を経て熊本市の国道3号線を九州西岸部を南下したときに水俣市があったのを鮮明に覚えてる。
水俣市は水俣病資料館などに経ちよったこともあるが、出逢う方々が優しい人ばかりだった。
水俣市では体調不良からにっちもさっちも行かなくなった小生を見ず知らずの方が小生を家に入れてくれ休ませて頂いた。
ロクでもない小生に優しき手を差しのべるご厚意が、とても印象的で記憶にのこってます。
そんな熊本県水俣市は、2021年9月の日本全国での今作品の公開に先立ち、8月に有志が主催する地元での上映会に後援団体として名前を貸すことを辞退したそうです。
同市は朝日新聞の取材に対し、映画が歴史的な出来事を正確に描き、患者への差別や偏見を払拭するのに資するかどうかが不明だったためという。
優しき水俣市民の方々の心身に未だに傷跡が深く刻まれてることがわかる記事です。
一方、熊本県は上映を支持したそうです。
扠、今作品は、現実の社会問題を扱ったハートフルなドラマでしたし、人VS企業のストーリーを無知な小生からは良く再現していると思います。(ただ、小生無知ゆえに真実の欠片しかしりませんし、誤りがあったら御許しください)
ジョニー・デップや脇役たちの魅力的な演技によって、より高い次元の作品に仕上がってました。
ライフ誌のフォトジャーナリスト、ユージン・スミスは、チッソの工場排水の海洋投棄による水銀中毒の現場を取材するため、日本の水俣に行く。
ジョニー・デップの久しぶりの好演って云えるかな。
デップの役柄といえば、大柄で奇抜なキャラを思い浮かべがちやった。
『フェイク』(1997年)『ネバーランド』(2005年)『リバティーン』(2004年)など、実在の人物を演じたときは、彼の特徴であるクセがないために見過ごされがちやけど、別の魅力がある。
デップは実在の人物に対して誠実で責任ある行動をとることに専念しているため、その仕事は単純に見える。
ユージン・スミスを演じた彼は、ハンター・S・トンプソン(以前結構読読み耽ったアメリカ合衆国のジャーナリスト、作家)の似てて、常にドラッグと愉快な自己破壊によって自己治療する必要のある、呪われた真実を語る男と云える。
縮れ毛とゴマ塩あごひげはあるものの、これは彼が久々にしたコスプレであり、それがまた味がある。
デップは、ユージン・スミスがどん底に落ち、もうどうにでもなれと悦に入る姿に、胆力のあるユーモアを注入し、驚くほど面白い作品に仕上げてました。
実際のユージン・スミスがどのような人物であったかはお恥ずかしながらわからないけど、この人物像を作り上げた材料は、ユージン・スミス、ハンター・S・トンプソン、そしてジョニー・デップ自身の二次資料の組み合わせであることに賭けてもよいかな。
デップが発しているものは、彼がこの瞬間に云えいたいことを役を通して表現しているような、リアルで生々しい感じがした。
真田広之は、チッソへの抗議をリードする役で、脇を固めている。
応援したくなるようなカリスマ的な顔を持っているって最近思うかな。
実写版『伊賀野カバ丸』目白沈寝役の頃からは想像できない。
アンドリュー・レヴィタス監督は、ユージン・スミスの目を通して、水俣病のさまざまな犠牲者とその家族を、観客が敏感に感じ取れるよう、時間をかけて描いている。
撮影は、視聴者が事態の深刻さに思いを馳せることができるよう、華麗な日本の背景を使用している。
そして徐々に、水俣病の被害者とその家族を思いやるようになる。
水俣病はかなりの悪夢と云える。
誰かが生魚を食べたり、お茶を飲んだりするたびに、観てる小生は歯痒さに爪を噛んでいた。
3ヶ月の滞在予定が3年半も水俣に滞在したユージン・スミスという実在の人物が何を食べ、何を飲んでいたのかが気になったくらいです。
ただ、筋書きやテーマが少しばかり似ているスティーブン・ソダーバーグ監督の『エリン・ブロコビッチ』の方が比較的筋が通っているが、今作品がもたらしてくれた瞑想的な朦朧とした感覚を観ることはできた。
映画館に行くのは特殊効果を駆使した大予算のブロックバスターだけで、スローペースのアーテイスト・シネマは後で自宅でストリーミング再生すればエエなん映画鑑賞傾向が小生自身に強まってますが、今作品を観てそれは必ずしもそうではないと思ったし、今作品もまた劇場で見逃したのを残念に思う一本でした。
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