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勝手に逃げろ/人生のnetfilmsのレビュー・感想・評価

勝手に逃げろ/人生(1980年製作の映画)
4.4
 私の携帯にゴダールの死の報せが届いたのが夕方の17時を回ったくらいで、絶句した。いつか来ると思っていたものがとうとうやって来た。やって来てしまったと思いながらジムでひとしきり汗を流しながら、ゴダールについてしばし思いを巡らせた。昨夜は『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』のBlu-Rayを2本立てて観た。観終えて何かしら感想めいた文章を書かなければとSNSを開いたら再度絶句してしまった。これは言葉にならない幕切れではないか。「自殺幇助」とは聞き慣れない言葉だが、「安楽死」のようなものだという。厳密には両者は違うと言う者もいて混乱する。要するに彼は日常生活に支障を来す疾患を複数患っており、スイスで合法化されている医師による「自殺幇助」による死を自身が選択したという。最後は医師に言われた薬を飲み、家族に看取られながら静かに絶命したというのだ。一昨日も友人とゴダールについて話していた。8年前だったかジャン=ピエール・レオが来日した時にトリュフォーとゴダールの数々の映画に主演した彼に当時は引き裂かれる思いだったかとインタビュアーが尋ねると即答でハイと答えた後、でもその後のトリュフォー作品とゴダール作品の愛され方の違いをご覧いただければ皆さんおわかりではと幾分挑発的なスタンスで語気を荒げたのが印象的だった。それを聞いた私は苛立ってしまった。

 言うまでもなく67年以降の彼は孤独だった。歴史の連続性から断絶され、79年にフランス映画の栄華を感じさせない離れ小島のようなスイスを選び、それまでと変わらない姿勢で映像に没頭した。3人目のパートナーであるアンヌ=マリー・ミエヴィルとレマン湖のほとりに小さな工房を構え、半ば世捨て人のような暮らしを送る中で今作を撮った。『勝手に逃げろ/人生』には文字通り、冒頭から死の匂いが立ち込めている。傑作『ウイークエンド』で商業映画との絶縁を宣言し、それから12年の時を経て、再び生まれ変わったと宣言して発表されたのが今作なのだが、そのあまりにも陰惨で憂鬱なトーンが頭から離れない。今作の冒頭は印象的な空の青で始まる。都会の全てを捨てたナタリー・バイと新しい生活環境を欲する売春婦イザベル・ユペールを対比させるように物語は進んで行くのだが、今作で炙り出されるのはゴダールのメタ的な自己投影なのだ。ストップ・モーションが露にする前進と停滞の剝き出しな視覚的野心。連続性の中で脱臼する驚きは映画的欲望に溢れる。弛緩した映像の中にしばし顔を出す映画的欲望は物語の中にあるセクシュアルな欲望とは完全に切り離され、別のベクトルで進んで行く。ゴダールの死は盟友シャブロルの描くような陰鬱な死に違いないが、おそらく世捨て人になった後のゴダールはシャブロルの映画など観ていないだろう。観る者を常に挑発し続けたゴダールの人生は、その壮絶なラストまで我々観客の予想を裏切り続けた。涙はとめどなく流れ続け、これで良かったのかという違和感も残るものの、正にゴダールらしい最期だった。今はまだ冷静になれず、そうとしか言いようがない。さよならジャン=リュック・ゴダール。愛すべきジャン=リュック・ゴダール。ありがとうジャン=リュック・ゴダール。
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