モロッコの女性監督マリヤム・トゥザニが
過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出をもとに作り上げた、長編映画デビュー作。
2019年カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されたことを皮切りに世界中の映画祭で喝采を浴びた。
また、女性監督初のアカデミー賞モロッコ代表に選出。
モロッコの長編映画は日本では初公開。
製作・共同脚本はアラブ圏を代表する映画監督の一人で、夫でもあるナビール・アユーシュ。
ちなみにアユーシュ監督作は本年度のカンヌコンペティション部門に正式出品。
カサブランカのメディナ(旧市街)で
女手ひとつでパン屋を営むアブラと
その扉をノックした未婚の妊婦サミア。
モロッコもまた家父長制が根強い社会。
サミアは大きなお腹を抱えて仕事を探すけれど、関わりたくないとでもいうようにことごとく断られる。
アブラは夫を亡くし、一人でパン屋を切り盛りして倹しく娘を育てている。
その表情は厳しく、険しいが、必死に生きているのだ。
結局出産まで家に置いてあげることになるのだが
一度は追い返したり、追い出したり
それでも気になってしまうところが優しい。
母一人子一人の孤独が響き合ったのか。
ちなみにこの娘ちゃんもかなり良い子。
だからお母さんもいい人に違いない。
モロッコが舞台の映画といえば有名なのは『カサブランカ』
『シェルタリングスカイ』が私は印象深いかな。
幾何学模様のインテリアや
花柄などの彩色豊かな布地に見とれる。
流れるのはアラビア音楽。
パンの焼けるいい匂いが漂ってきそう。
サミアが最初に着ている、水色のガウンのような服のステッチや、頭に巻き付けている紫の花柄の布(スカーフ?ターバン?)がかわいかった。
アイラインを引いただけでキリッと美しくなるアブラはルブナ・アザバル。
サミアはドラマなどで人気のあるモロッコ人女優のニスリン・エラディ。
監督はフェルメールやカラバッジョに影響を受けているらしく、画面の光と色彩が絵画のようにとにかく美しい。
訳ありで未婚の母が子供を育てるには
世間の目が相当厳しいようだ。
町の人々は素知らぬ顔をする人もいれば
気遣ってくれる人もいないではないけれど
同じ女性からの冷たい視線にはいたたまれなくなった。
そんな世の中でも、
サミアは手先も器用で家事仕事もパン作りも得意。
美容師もやっていたようで、手に職をもつ、地に足のついた現代的な女性だ。
「女性の権利がない」というような台詞もある。
徐々に笑顔の増えるアブラ
二人は姉妹のようで、親友のようで、同士のようにも見えて
でも強烈ではない
あたたかく、優しく、さりげない絆を感じさせる。
女性賛歌だけれど控えめで
その力はあくまで女性らしい、しなやかな強さ。
心の底がふんわりとした明るさで灯されるような心地になる。
結末は観客に委ねるかたちとなるが
映画を観ている瞬間と
劇場を後にした時とは
私は別の受け止め方をした。
驚くほど美しく、優しい、願いに溢れた作品。
この映像に煌めく光の粒にぜひ多くの人に触れてほしいと思う。
自分らしく、生きて。
以下ネタバレに触れた感想⚠️
サミアは妊婦なので、もちろん映画の中で出産するのだが…
彼女は赤ちゃんを産んですぐ養子に出す決心をしていた。
それほど未婚の母子が生きていくのは厳しいということだ。
決心を鈍らせないためか
情を感じないようにするためか
彼女は火がついたように泣く赤ちゃんになかなか触れようともしない。
アブラにお乳をあげてと言われても拒否してしまう。
私は出産経験がないので目にしたことがなかったのだけれど
赤ちゃんはおっぱいを飲むとき、お母さんをあんな目で見るんだ🥲
と猛烈に感動😭
こんな素晴らしい授乳シーンを観たのは初めて。本当に聖なるものに見えた。
素晴らしいし、赤ちゃんがとても愛おしく思えた。
出産シーンが印象的だったのは最近『私というパズル』があったが、あれは「どうだ!」感が強いのと、出産経験のない女優にあえてやらせたことも腑に落ちていなかったのだが、
これはその経験がなくとも、また男性でも共感できると思う。
あと『プロミシング・ヤング・ウーマン』のように、やはり“女性の敵は女性”という状況があるのは女性として最高に嘆かわしいことだと再認識。
結末を観ている時、彼女はそれでも養子に出すのだと思っていた。
だが、彼女が劇内で何度も見せた強い眼差しが入れ替わり立ち替わり思い出され、そうではないことを願っていいのだと思えるようになった。
亡き夫が好きだった曲をアブラは聴くことができなかった。
サミアが無理にでも聴かせようとしたあの曲を歌った歌手は、夫に歌手業を禁じられたが、大統領の要請で国の記念公演で復帰した。それをきっかけに彼女は離婚、その人生を歌に捧げた。
2021レビュー#166
2021鑑賞No.374/劇場鑑賞#66