ふたーば

画家と泥棒のふたーばのレビュー・感想・評価

画家と泥棒(2020年製作の映画)
4.0
異常な映画……

まずもってこれが本当にドキュメンタリーなのか、それともフェイクなのか、はっきりさせてほしい。一応本物とされているけど、あまりにできすぎている……が、まぁこだわっても仕方ない部分なので、一旦台本のない「ドキュメンタリー」であると信頼して話を進めたい。

編集や見せ方のおかげではあるのだけど、それにしたって狙ったってこんな複層的な構造をした映画を作るのは難しい……「被害者と加害者」「芸術家と一般人」「持つ者と持たぬ者」「正気と狂気」という一見単純な二項対立の関係が、現れたと思ったら相対化したり逸脱したり境界を限りなく曖昧にしたりする。その転換が見事。かつ、見せ方まで完璧なので、実際になにが起こってるのか、話が進むにつれわからなくなるし裏切られる。

「狂気」のような単純な言葉に落とし込むのは好きではないのだけど、あまりに色んな角度から自分の倫理観をひっくり返そうとしてくるので、登場人物の合理的な判断能力か、こちらの常識を疑わざるを得なくなる作品だ。

でもやっぱり一番気になった問いは、「我々は絵画を鑑賞する時、そこになにを求めているのだろうか?」というものだ。作品と作者を分けるべきというときと主張するときにも、人間は作者になんらかの繋がりを求める。それは倫理的一体感であったり、こじつけのストーリーであったりさまざまであるが、結局のところ、常に自分にとって都合の良い見方をどうしてもしてしまうのだ。そのため、盗まれた絵画と画家に対する評価や感想は最初と最後でかなり大きく変わったように思う。

そして奇妙なことに、自分は犯罪を見る際にも、同じようことをしているのではないかと思い至った。法的な処罰の対象となる行為をした人間を倫理的な「悪人」としてみなし、落ち度や性格的な怠惰さを探してしまう。かと思えば犯罪者の人間的な部分を見出して、社会や制度の「被害者」としての無力さに勝手な同情心を抱き、その人間的な幸福を願ってしまう。しかし、いずれにしても絵画と画家、そしてそれに対峙する自分の関係と同じである。犯罪者が犯罪に至るまでの動機も、その後更生や反省をしたかどうかも、我々にとっては知りようがない。その者に対して何らかのストーリーをうまいことかぶせて、咀嚼しやすいように都合よく形を整えているにすぎないのだ。

次々に現れる様々な断面に不条理で不気味な人間の生活や行為を見いだして困惑しつつ、また他方で作品、芸術家、犯罪、犯罪者、そして人そのものを見て分かろうとする我々という存在の不可解さ、理不尽さを感じて少しずつぞっとするという、なんとも不思議な作品である。その意味で、最後のシーンのえもいわれぬ不愉快さはこの映画の本質を見事に捉えていたといえるかもしれない。
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