KnightsofOdessa

ナイトメア・アリーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ナイトメア・アリー(2021年製作の映画)
3.0
[己の嘘を信じる者は、力を過信し破滅する] 60点

ウィリアム・リンゼイ・グレシャム『ナイトメア・アリー 悪夢小路』の二度目の映画化作品。一度目はエドマンド・グールディングによる『悪魔の往く町』であり、中々の完成度だった同作から上映時間が40分も伸びていることになる。原作は未読なので40分伸びた方を考えてみると、主人公スタンの背景が加わったのが大きいだろう。物語開始時点でサーカスに属していないことで、ジーナやモリーと知り合う時間が増え、ギークについての知識を観客と共有する親切設計となっている。ただ、それらはグールディング版ではどうでもいい設定として端折られていた部分で、サーカスの場面を少しでも引き伸ばすために、或いはラストを含めた続く展開のために、様々な伏線を張り続ける。例えば、スタンの背景として老父の遺体を実家ごと焼く回想が入る、メタノールと密造酒の保管場所が隣り合わせであることを教える、ギークの作り方を教える、グリンドル邸で嘘発見器にかけられる、など。ここらで分かるのはグールディング版はサーカスというより主人公の上昇志向と破滅に興味を持っていたが、本作品ではデル・トロが明らかにギークの方に興味を持っているということだろう。開始時点のブラッドリー・クーパーにはタイロン・パワーのような上昇志向はそこまで感じられず、その後の展開もラストでサーカスに戻ってくるために必要だから語られているにすぎない。それにしても、全体的に"そこまで説明しないとダメか?"と思ってしまうほど一つの描写が冗長で、150分は長すぎる。

スタンが物語開始時点でサーカス未加入だったことで、三人の女性たちの描き方も変化している。グールディング版では無垢な人形みたいな扱いだったモリーは、2年経ってもコード暗記に苦労してショウでも失敗する姿が描かれるなど、最終的な決裂に至るまでの背景がしっかり加わっている。逆にデル・トロはジーナやタロットには全く興味がないようで、彼女の出番はほとんどないし、それによってピートとの距離感も異なる。ピートは"自分の嘘を信じ始めると、力を持ったと勘違いして人は盲目になる"という言葉をスタンに投げかけるが、これが本作品を現在に蘇らせた一つの意味なんだろう。また、グールディング版におけるリッター医師は数回ながら強烈な印象を残す人物として登場するが、本作品では思わせぶりな背景まで登場し、ラストへの納得感を高めてくれる(その必要性はあまり感じないが)。

ただ、グールディング版を念頭に置くと、配役はほとんど完璧に近い。タロット使いのジーナは魔女感の強いトニ・コレット、その飲んだくれの相棒ピートはデヴィッド・ストラザーン、怪力男はロン・パールマン、胡散臭い興行主はウィレム・デフォー、強かな精神科医はケイト・ブランシェット、無垢なる美少女はルーニー・マーラ。唯一合ってないと感じるブラッドリー・クーパーでさえ、上記のことを踏まえると正しい配役に思えてくる(詐欺師っぽいかと言われると詐欺師っぽいし)。

全体的な映像は、セットの質感がゲームのティーザー映像みたいだった。ひたすらカメラが動いているのも、ブラッドリー・クーパーが無駄にイケメンで、それがある種ゲームの主人公っぽいのも原因の一つだと思うが、のっぺりとした色味や質感はあまり好きになれなかった。ちなみに、ただのサイキッカーもどきに対して"死んだ恋人を実体化させてくれ"という展開には難がありすぎると思うんだが、グールディング版でも本作品でもそのへんはよく分からなかった。説明が色々加わったばっかりに、本作品の方がモヤモヤ度は高め。
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