あきらっち

情婦のあきらっちのレビュー・感想・評価

情婦(1957年製作の映画)
5.0
いつまでも色褪せない映画がある。

1958年公開の本作。
終戦からまだ日が浅いこの年の日本では、
長島茂雄が四連続三振で公式戦デビューし、
東京タワーが完成した。

今から60年近くも前の話だ。

勿論映画はモノクロ。
だがモノクロを補って余りある、
秀逸なミステリーの輝きは、今なお色褪せるどころか、強烈な煌めきを放ち続けている。

邦題“情婦”
原題“Witness for the Prosecution”は検察側の証人を意味する。
シンプルながら素晴らしいタイトルであること、その意味は観ればわかる。

冒頭、老弁護士と付き添い看護婦の軽妙なやりとりが続き、ガッツリとした法定サスペンスを予想していた自分にとってはいささか肩透かしを喰らったような印象を受ける。
物語の中心となる男性被告の登場も、緊迫感がまるで無い。

期待値上げ過ぎて何だか期待外れの予感がふと頭をよぎったが…

振り返ってみれば、期待の遥か上。
ミステリー映画史上に燦然と輝く、
傑作中の傑作に違いなく、思わず唸った。

モノクロであるデメリットを物ともせず、
逆にモノクロであるからこその、重厚感、雑念の無い心理描写、音響の存在感、光と闇の濃淡を描き出す。
現代の技術があれば、カラー復元も可能であろうが、この映画はこのままであるのがベスト。

アガサ・クリスティ原作の素晴らしさは元より、ストーリー、キャストの演技、音響、映画の全てが、今観ても全く違和感なく観る者を惹きつける。
いつしか老弁護士と付き添い看護婦の軽妙なやりとりが心地良くすら感じられ、二人のラストシーンも何とも清々しい。
上映時間117分はあっという間だ。

ミステリーに不可欠な伏線、回収、どんでん返しがあまりにも見事で…
でもネタバレは、この映画の輝きを消してしまうので絶対に不可。

内容を一切予習せず、フラットな気持ちで鑑賞しないと、勿体ないどころか一生悔やむ、そんな映画。

※被告役のタイロン・パワーは本作の上映から間もなく(その年の11月)、44歳の若さで心臓麻痺で急死。本作が彼の遺作となってしまったが、輝きは本作と共に永遠だ。
また、主役級の活躍で魅せた陰のある美貌のマレーネ・ディートリヒ、本作の表紙にもなっている“100万ドル”の脚線美は、モノクロにありながら艶に溢れ、こちらもまた、本作と共に永遠に輝き続けるだろう。
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