これを見る人はみんな自分の家族にあてはめてみてるんじゃないかしらとおもう。
オープニングから女王様が走って父親の世話をしにアパートへやってくる。。。ああ、こんな感じかな。。と思ってみてたら、だんだん話の軸がずれてくる。
そう、アンソニー・ホプキンス役のアンソニーおじいちゃんの認知症の認識でカメラが動いているからだ。
部分的に、実際のストーリーに戻ったり、また、おじいちゃんの意識がとんで、おじいちゃんの理解だけで話が動いたり、、あれあれあれ?をやっとセリフをつなげていくとだんだん話が見えてくる。
オリビア・コールマンの苦悩は顔で全部わかる。でも一生懸命、残された父親の面倒を見ている。彼女は寂しい。父親の症状が深刻化していくたびに彼女の顔から笑顔が失われていく。だんだん彼の無意識下にある娘のアンヌの彼なりの評価が言葉も彼女を無駄に傷つける。無意識なのに「お前はお母さん似てそんなに頭が良くない」「フランス語もしゃべれないくせに」と何度も何度もボケてる父親からそんなことを言われてたら笑顔もなくなってしまうはず。同世代ちょっと上の彼女の心情は痛いほどわかる。自分のパートナーとの関係も、父親との関係性で彼女の育った家庭の雰囲気がわかる。
アンソニー・ホプキンスは現実の世界に戻ってきたり、あっちの世界にいったり、いろいろと旅をしている。怒りっぽくなったり、現実だと思ってるのか、自分がダンサーだと言ってみたり、迷惑にならない程度に空想の世界なのか、支離滅裂な世界に生きている。
しかしこの役をあの偉大な俳優が演じていることで、もしかしたら、この人だけ、客観的に正しいよねと、観客に思わせる。
出てくる彼の娘も、娘婿も、お手伝いさんも、人が入れ替わるので実際誰が誰だかほんとうのことはわからない。
知らない間に、でも、ドアの色だけ変わったような、介護施設のセットにはなきたくなるほどの装飾チームのセンスを感じた。
そして、最後かれは80代のおじいちゃんが4歳児の駄々をこねる男の子になってしまう、すごいラストだったとおもう。彼に乗り移った幼児がママ!ママ!僕を迎えに来てと言うあのセリフは恐ろしい。このシーンがなければ彼もアカデミー賞をとれなかったかも。
このアンソニー・ホプキンスと、ブラックボトムのチャドウィック・ボーズマンが今年のアカデミー賞争いをしたけど、心情的にはボーズマンだけどこの演技で取った意味がよくわかる本当に圧倒的。