”年齢が適齢だとは言え、その演技はあまりにもリアルで、ミステリアスで、寂しくさせる ”
※本レビューはあくまで個人の見解です。見解の違う点、多少のネタバレ要素もあると思いますが、私なりの作品の魅力をお伝えいたします。
〈あらすじ〉
ロンドンに住むアン(オリビア・コールマン)。彼女には81歳になる父が居た。
彼の名前はアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。
ロンドンで独り暮らしをするアンソニー、愛するフラット(家)には本やCD、2人の愛娘の妹が描いた絵などがあった。
アンは父親の様子をみつつ彼にヘルパーの話をする。
アンソニーは認知症を発症していたのだ。
献身的にアンソニーを世話するアン、しかしアンソニーは頑固で「誰も助けなど頼んでいない」とアンが折角雇ってくれたヘルパーも突っぱねてしまう。
その頃からだ、アンソニーは奇妙な体験に悩まされる。
時計はどこか、、、
彼の名前は、、、
ルーシーはどこなんだ、、、
アン、、、
名優アンソニー・ホプキンスによるあまりにリアルで事実的な演技と描写の数々により、認知症患者とその周りの環境を落とし込んだ名作となる。
〈感想〉
本作のアンソニー・ホプキンスの演技は、伊達に世間や業界で"名演だ!"と賞賛の嵐であることが納得しかいかないクオリティだった。
アンソニー・ホプキンスと言えば世紀のサイコパス博士、マスクオブゾロを育てた男、名門貴族に仕えた執事と幅広くどれもストーリーの中へ観るものを惹き込む演技をする名俳優だ。
しかし、今作のアンソニーはあまりにも演技としては完成度が高すぎる。
彼の演技において、私はその"表情"と"目"は他の追随を許さないアンソニーの最たる特徴だと思う。
今作は認知症を題材にしており、「認知症の家族を支える親族」の話もあるが、何よりも『認知症が徐々に侵攻して行く当事者の目線』が見所である。
細かな物忘れ、人物の混同、環境認知力の低下、そしてその先の全ての記憶が混同し思い出せなくなる末路。周りを疑いだし、原因が自分にあると自覚しだした時、自分が信じている自分自身が日に日に信じられなくなる。その混乱と葛藤、何よりも不安と寂しさ、侘しさ、喪失感それら全てを表現した未だ健在であるアンソニーのそれは、演技を超えていた。
私事だが、レビューを描く私自身にも87になる祖父がいる。彼も認知症だ。作中のアンソニーほどでは無いが、日に日に症状の進みを感じる。
だからこそ今作の演技の素晴らしさは分かる。傍で同じような表情をしてきた実の祖父を見てきたからこそ、あのとぼけたように見せ不安と動揺を隠しきれない顔、人の名前や日時を確認した時に反射のようにする「あぁ、そうかそうか。」という理解していることを示す返事、その実後半ずっと抱えこみ時折溢れ出す不安と寂しさ、どれを取ってもまさにそのとおりの描写であった。
物語の動きが大きいシーンの演技は勿論だが、私的には何でもない時の左腕を気にするシーンや優しく微笑む佇まいが本当に響いた。それが劇中のアンソニーの感情が大きく現れる瞬間をより強く感じさせもしたと思う。
今作が数々の賞を獲得したことは自明であり、感動作すなわち"感情が動かされる作品"であることは間違いない。
しかしこの涙はとても切なく悲しく、溢れ出してくるものだ。
決してハッピーエンドなんてものではない、終始不穏な空気感もある。だがそれが小さな世界の誰にでも起こりうる事象であり、ただ悲しむだけではどうにもならない事なのだ。
きっと私にとってこの映画はいつまでも記憶に残り続けるだろう。だが軽はずみに人に勧めたりはしないだろう。
私にとって今作は映画を超えて記憶とも言える何かとなった気がした。
※長い文でしたが読んでくださりありがとうございます。これからも皆様の素敵な映画体験のきっかけになれればと、自分なりのレビューを投稿いたします。
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