認知症である父の主観で描くことで混乱を生み出し、結果、ミステリーとなる趣向。
ありそうで無かった趣向では。
発明的で素晴らしかった。
(もしもすでにあったのならごめんなさい)
アンソニー・ホプキンスの圧巻の演技。
真に迫っており、一瞬も目が離せなかった。
祖父の生前、用を足すのにトイレに付き添った深夜、水の流し方がわからなくなり、便器のどこをどうすれば良いだろうかと混乱し、かなしそうに呟いていた言葉が今でも忘れなれない。
「水道屋がトイレの水を流せなくなったらおしまいだなぁ…」
19歳の頃、祖父に教わりトイレの設置なども一緒にやったことがあったもので、便器のレバーをひねりながら、切ない気持ちになった。
無邪気だったり、思い違いをしたり、忘れたり、怒りっぽかったり、虚ろだったり、不安で一杯になったり、そんな劇中の父に似ていた祖父を、ずっと思い出していた。
忘れてゆく。
心の底から、おそろしいだろう。
両親がなってゆくとしたら。
いつか自分もなるのだとしたら。
「すべての葉を失っていくようだ」
ものすごく実感のある言葉。
きっと脚本家の創作ではなく、本物の認知症の方の言葉だろう。
種が土に根を生やし、小さな芽が顔を出し、空を目指して幹を伸ばし、太陽に照らされ、青々と繁り、雨に濡れ、風に枝葉を揺らす樹々も、季節が巡ると、記憶という名の葉を落とす。
すべての葉を落とし、すっかり忘れてしまえたなら、楽になれるのだろうか。
しっかりと時計を着けて、旅に備えての心構えをしなければ。