くまちゃん

ファーザーのくまちゃんのレビュー・感想・評価

ファーザー(2020年製作の映画)
4.3
信頼できない語り手、もしくは自身を信用できなくなる設定は古今東西多く存在する。「カリガリ博士」や「バルカン超特急」がいい例だろう。
ミステリーやサスペンスの定石の一つと言っても良い。
ストーリーや設定の破綻なく論理的な筋道が立てば評価される一方、妄想や幻想であったと明かすラストは批判も浴びやすい。夢オチなどもってのほかだ。どんな荒唐無稽な物語もそこに結びつけることができ、制作側の怠慢と捉えられかねないからだ。

今作ではそんな古典的叙述トリックを巧みに応用し、ホラー映画的とも言えるカメラワーク、プロット、セリフ、キャラクターの入れ替えによって観客を翻弄する。一歩間違えればスリラーになりかねない演出方法を、フローリアン・ゼレール監督の手腕をもって濃密なヒューマンドラマへ落とし込む事に成功している。それにより認知症を患うアンソニーの視点を追従できる優れた構造を持つ。

メソッド演技法を否定するアンソニー・ホプキンスだからこそ可能にしたリアル過ぎるナチュラルなアプローチ。

主人公アンソニーが常に腕時計を探しているのは時間は唯一不変的だからだ。

劇作家であるゼレール監督が自身の戯曲を自ら映画化した今作では主人公アンソニーをアンソニー・ホプキンスに当て書きされたという。
生年月日や名前がホプキンスそのままのプロフィールが使われていることからもそれがわかるだろう。

認知症のもつ不安や焦燥、他人の無理解といった問題を丁寧に描きつつ、アーティスティックな作品に仕上がっているのはゼレール監督の認知症に対する深い理解があってこそ。
記憶の混濁や迷走が最終的に施設に収容されるに至るというのは現実で誰にも起こりうる最大の不条理である。
助けが必要な時に自身は他人の管理下のもと、家族と離れなければならない。これ以上の孤独はあるだろうか。
アンソニー・ホプキンスの幼子のようなラストの涙は、我々が直面する大きな課題を全人類へ投げかけているように感じてならない。
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