数年前に認知症の祖父を亡くした経験から、認知症の大変さは多少はわかっているつもりだった。
この映画は予想外なことに、よくある介護側の視点ではなく本人目線で物語が続く。
そのため日常生活においての認知症の方が経験している混乱を疑似体験することができた。
振り返ってみると、認知症についての苦労話は大抵は介護する側なことに気づく。
その点、この映画のおかげで認知症についての理解がより深まっていくのだろうと思った。
認知症は歴とした病気だ。
病気は誰もがなりたくてなっているわけでは無いと思う。
作中でアンソニーがふと我に返るシーンを見るととても切なくなる。
なりたくてなっているわけでも、傷つけたくてきつい言葉を言っているわけじゃない。
世の中には誰が悪いわけでも誰のせいでもないことだけれど、どこにも感情をぶつけることができないことって案外たくさんあると思う。
感情をぶつける先があったほうが、どれだけ心が楽になるのだろうか。
僕が高齢者になるころには認知症はますます身近な病気となるだろう。
あるいは現代医療が発達し、根本的な治療法が確立されることのほうが先なのかもしれない。
いずれにしても認知症を発症した場合のさまざまな問題について考えてみたけれど、最も有効で誰もが今すぐにでもできることは一つしかないんじゃないかって個人的に思った。
それは「大切な人とたくさんの思い出を共有し、愛情をもって常に接すること。」
あ、ふたつだた
愛はお金では決して買えないけれど、誰もが平等にもっていて与えることのできるものだから。
全ての難しい問題において愛が重要なキーとなるはず。
また、どれだけ裕福であろうが死ぬ間際のベッドの上では豪邸も高級車も持ってはいけないのだ。
そんなような時が経てば朽ちるような薄っぺらいものよりも、僕はたくさんの思い出をベッドの上に持っていって最後は過ごしたいと思ってる。
そんなことを考えるきっかけとなった映画だった。