るるびっち

キネマの神様のるるびっちのレビュー・感想・評価

キネマの神様(2021年製作の映画)
3.7
夢を叶えられない人が圧倒的多数だろう。
夢を叶えられなくても、優しくキネマの神様は微笑んでくれる。
夢を見せるだけ、というのも残酷ではあるが・・・

若い頃に監督になりかけたが、そこから逃げてしまい人生を酒とギャンブルで潰した男。
ステレオタイプなのはワザとだろう。
具体性はどうでもよく、「夢を叶えられず無為に生きた男」という寓話なのだ。

実は彼は、他人が欲しがるものを手に入れている。
人間は既に持っているものには関心が無く、手に入らぬものをいつまでも夢見る生き物ではないか。
親友テラシンが恋焦がれた淑子と、彼はあっさり結婚する。
テラシンも、映画館経営の夢は叶えている。
手に入れたものは当たり前になり、価値を置かない。
手に入らないものに価値を置いて追い続ける。
夢はギャンブルと同じなのだ。
手に入らぬからこそ追うのである。

目が見えている間は、綺麗な景色もすぐ忘れる。
見えるのが当たり前だから。
失明してから、もう一度夕日が見られたらと嘆く。
五体満足の内は、散歩なんてアホらしい。
寝たきりになってから、もう一度歩けたらと思い焦がれるのだ。
今、手にしている物は当たり前すぎて値打ちに気づかない。

本作では、最後にキネマの神様が見せてくれる奇跡は隣にいつも居た淑子ではない。そこに疑問が残る。
これでは、主人公はずっと大女優に恋い焦がれていたのかと勘違いしてしまう。
そうではなく、映画の世界そのものに恋い焦がれていたのだろう。

本作は小津安二郎・清水宏を、小田とか出水ともじっている。
その割にコロナの部分は妙にリアルだ。
山田監督は、この時代の記録としてドキュメンタリー的な側面を入れてフィルムに焼き付けようとしているのではないか。

無為に生きた男を通して描きたいのは、実は発展しない邦画や日本経済の惰性ぶりへの批判ではないか。
未だに邦画のピークは黄金の50年代。
希望があったのは高度経済成長期。
夢を逃して、無為に生きたのは主人公だけではない。
日本人全体ではないのか?
ハリウッドも中国も韓国も不調な時期はあるが平均して経済発展し、映画も成功している。
邦画と日本経済だけが昔を振り返り、あの頃は良かったと愚痴るのだ。
主人公と同じではないか。
韓国映画はビジネスとして世界進出し、アカデミー賞をさらっている。

経済も邦画も、主人公と同じく無為無策で夢をつかみ損ねたのだ。
本作を見て人情噺だなー、なんて言ってる場合ではない。
失われた30年・・・ジュリー以上に喝を入れないといけないのだ!
るるびっち

るるびっち