松井の天井直撃ホームラン

チィファの手紙の松井の天井直撃ホームランのレビュー・感想・評価

チィファの手紙(2018年製作の映画)
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↓のレビューは、以前のアカウントにて、鑑賞直後に投稿したレビューになります。

☆☆☆☆

(2020年)9/16 最後の方に少しレビューを補足しました。

2日前(公開当時)にこの映画の存在を知り、慌てて朝一の上映に駆け付ける。
どうやら此方が(同監督の『ラストレター』と比べて)完全オリジナル(?)と言えるのでしようか。

「貴方は私のヒーローなんです!」

どうしても姉には勝てない…のを感じていた妹は。自分を奮い立たせて、憧れの先輩に告白をする。

日本版に有ったこの場面は、原作にも有ったのですが。この中国版には存在しない。

そもそも原作では、サッカー部のエースストライカーの彼。彼に恋をしてサッカー部のマネージャーになる妹。
この告白が有るか無いかで、妹が淡い期待を抱いてクラス会に参加した意図が、観客には理解される。

日本版には(確か)サッカーの場面が無いだけに、この時の大事な告白による、彼女の口にする〝 ヒーロー 〃の【意味】が薄まってしまっていた。

しかし、今回のオリジナル版にはサッカー場面が幾つか挿入されてはいたものの。残念ながら、この大事な告白の一言は入ってはいなかった。

日本版と中国版。殆どその内容に大きな違いはありません。
…とは言え、細かな変更点はやはり有って。先に記した〝 ヒーロー 〃とゆう単語。それと、日本版ではそれ程大きく扱われてはいなかった弟の存在が、後半になって増して来る辺りか。

あ?そうだ!好きな彼女と知り合う彼の方にも、妹が居る…ってゆう話でした。
妹が居る事で、妹の友達である彼女と知り合い、その姉に恋をする。
これは原作には無い中国版だけの設定ですね。

姉が自転車でやって来て、妹が「マスク取りなよ!」と言って、彼に紹介する場面は。日本版とは違って、カメラが姉を中心にグワーンと何度も回り込むカメラワークで、忘れ難い演出になっていました。

映画の後半、日本版ではそれ程重要な立ち位置とは言えなかった弟でしたが。日本版には出て来なかった或る生き物の死によって。まだまだ幼い弟にとっては、出来れば忘れたい出来事で有ったで在ろう《死》と言う〝 恐怖 〃が、突然弟の胸の奥底にズシンとのしかかって来る描写は。日本版には無いだけに、深く考えさせられる場面でした。


そしてラストシーン。

日本版と中国版との違いは、同じシチュエーションで有りながら大きく違っています。
その違いの大部分は、日本版の主演には広瀬すずが演じていたとゆう事実。
彼女が亡き母親の手紙を読む。この時の広瀬すずの存在がとにかく際立っていた。

そしてもう1人、その存在感で日本版と中国版との違いを感じさせた俳優が、日本版に於ける豊川悦司。

原作ではとことんクズだったこのキャラクター。
豊川悦司が演じたクズ男は、原作とは若干違って、抜け目なく・それでいて深い洞察力を秘めた、原作をも上回る存在感を発揮していたが。この中国版の俳優は、原作にほぼ忠実なクズ男だった。

この男には同棲中の女が居て、日本版では中山美穂が演じていたが。この男女間カップルは、日本版に於ける2人の存在感にどうしても軍配が挙がる。

オリジナルで有りながら、幾つかの構図で有り。ストーリー展開、及び台詞等。多くの場面は同じだけに、どうしても後発の感覚で観てしまい、割りを喰いそうな感じでは有りますが。日本版・中国版、そのどちらにも共有する、岩井俊二らしいリリカルでピュアな感覚は。岩井俊二ファンにとっては、堪らない魅力に溢れた作品で有るのは間違いないところです。

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以下、(2020年)9/17 少しだけ補足しました。

クラス会で会う2人。共にほんの少しだけの会釈だけで会話は無い。

中国版での演出では、比較的に2人の感情表現は、アッサリと処理されていたが。逆に日本版でのこのクラス会での描写は。何度も2人のバストショットが挿入され。福山雅治の表情からも、観客側には彼女(松たか子)の正体を瞬時に〝 妹の方だ 〃…と見抜いた表情を、一瞬の内に写し出していたと思う。

以後福山雅治は、(松たか子から)送られて来る手紙を、〝 君が知らないお姉さんとの話を聞かせてあげよう 〃 …と、不思議な文通を《面白がって》続けて行く。

それが彼にとって、謎に変わるのが。同じ宛名から2通の手紙が送られて来た時から。
だからこそ、彼は真相を知りたくなり会いに来る。

この一連の流れは、後発である日本版に軍配を挙げたくなる。
特に、クラス会でのお姉さんのスピーチが館内に流れる場面。
観客にとって。ラストになってそのスピーチに至る真相を知るのは、言わずと知れた《彼女》と、自分自身の中だけに有る秘密なのだから。

それを協調するが如く。この時の日本版では、(確か)福山雅治の(心の中で)「コレは確か、君は知らない事だよね」…とゆう意味合いでの(個人的にはそう感じる)松たか子を見つめるショットが幾つか挿入されていたと思う。

中国版では、それ程深く考えていなかったので、確信は持てないのですが。妹が振り返る演出は有ったものの。彼側の深い感情表現を表す様な演出やショットは無かった様に記憶してはいるんですが…。

映画はその後、【老いらくの恋】騒動や、2人の娘達の悪戯が絡み。謎は深みつつも軽快に進んで行く。
この時に、文通の起点となるのが【老いらくの恋】による、義理の母の行動と。他人の気持ちを覗き込む楽しさ。それこそは、今の自分を顧みない〝 よこしまな気持ち 〃

この場面の演出も。(ここは松たか子のコメディエンヌとしての演技力の確かさも大きい)やはり日本版の方が後発としての強みからか。救急車を発動させたり、子供達を使ったりと。大袈裟ながらも楽しい場面を挿入し、観客側を飽きさせない演出を随所に見せていた。

但し、その事により。弟が抱く「人はいつの日か死ぬ」とゆう感情。
この《死の恐怖》を覚える秀逸な演出が、日本版からは、(おそらく尺の長さの関係か?)削除されてしまったのは返す返すも痛い。

中国版でのこの描写が有るからこそ、ラストに語られる手紙の真相は。〝 死を乗り越えた生の喜び 〃 が、時代を越えて表現されているだけに…。

そして今、思うのは。日本版では、このラストの手紙を。広瀬すず1人に託した事。
この監督の想いや要求を、ものの見事に飛び越えて。若者の〝 死に対する想い 〃を表現仕切った広瀬すずの、途轍もない力量の凄さでした。

2020年9月12日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン6