Metoo運動が起こる原因となった問題に実際に直面していた女性たちが何を見て何を感じていたのか、たった1日を切り取った短い映画の中に詰め込まれている。
鑑賞後に怒りや憎しみではなく疲労感が勝るのが、この映画のもっともリアルな部分じゃないかと思う。
真っ暗な朝から始まり真っ暗な夜で終わるため、彼女の1日を観ているんだとなんとなく分かっていても、映画は室内の映像がほとんどであり正確な時間は最後までわからない。
映像に映る範囲も狭いため彼女が働いている会社の全体像も、人物像も正確にはよくわからない。区切りもなく整理もできないまま、雑用だけをこなしている割に食事をまともに取る時間もなく慌ただしく流れていく忙しい日々。
ただ何かがおかしい、何かがはまっていかないことだけは明白で、その曖昧さがまた疲れる。
何が起こっているのかは明らかなのに全てが結局は曖昧で、目隠しされてしまう狭い狭い室内。国が違えど身に覚えのある閉塞感、真面目さが変に上滑りしていく空気感。自力での打開は絶対に不可能だと感じる。
映画のテーマは明らかなのに言葉がうまく出てこない、本当に映画の主人公のよう。
この国でもいつか自分が共犯者になるかもしれない、あるいはもうどこかでなっているかもしれない、無関心や無知によって。
立ち向かうこともできず無視もしきれず、静かに腐っていく自分を見るのも悲しい。
けれどもし今後職場で同じ疲労と閉塞感を私が覚えたら、それは私自身の未熟さ故ではなく、その時いる環境の何かが間違っているのだと思う、そう思えるようにしてくれた映画でした。