Ricola

ライムライトのRicolaのレビュー・感想・評価

ライムライト(1952年製作の映画)
4.1
チャップリンとキートンの共演が見られるとのことで、ずっとずっと温めて残しておいたこの作品を、映画館で観ることができたのはとても感慨深い。
この作品は、現代でも尚愛されているチャップリンが、自身の人生を振り返ったような、自己内省的な作品とも言えるだろう。

口ひげもメイクもしていない、「すっぴん」のチャップリンでも、彼の仕草や顔の動かし方ですぐに彼だとわかる。
いたずらっぽい表情で肘を曲げて手首も90度に曲げて手を振る。
眉毛をめいっぱい上げて驚きや喜びを表す。
老いても、彼のチャーミングさは全く衰えるところを知らない。


人生のどん底にいる二人の出会いから物語は始まる。
チャップリン演じるカルヴェロはかつての喜劇俳優の名は廃れており、舞台に立ってもかつてのような笑いをとることはない。
一方の若いテレーザはバレリーナとして成功することを病気のために諦めており、人生に絶望して自殺まで試みてしまう。
そんな彼女にカルヴェロは、自身を投影しつつ優しさと年の功から人生について語る。彼の口から紡がれる言葉は、我々にも訴えかけるもののようだ。
「人生とは願望だ。バラはバラになることを望み、岩は岩でありたがる。」
こういった名言を、チャップリンは優しく笑いを交えながら作中に散りばめている。

これからもまだまだ人生の続いていくテレーザと老い先短いカルヴェロ。
それぞれの歩む道の岐路が見えつつある中で、カルヴェロはまた舞台上のテレーザを愛おしむと同時に自らの若き頃を重ねて見ている。
舞台で踊るテレーザを上から見つめるカルヴェロ。幕が降りてから、舞台上の大道具を移動させる人々など舞台裏の様子がよくわかるアングルが、なぜか切なく感じる。
カルヴェロのテレーザへの愛情と自身の人生をかえりみる姿勢が重なったショットである。

そしてやはりキートンとの共演シーン!
舞台裏のお茶目な二人のやりとりから、表情豊かで大きな動きが特徴のチャップリンとポーカーチェイスでスマートだけど鈍くさいキートンという、全く相反する魅力がそれぞれ活かされたパフォーマンスには目が離せなかった。なかなか演奏が始まらないという演出も、じれったいけれどしっかり笑わせてくれる。二人とも自分の楽器に苦戦してるのに、お互いを助け合おうとしてさらにわけわからなくなるという状況も滑稽である。お腹がよじれるくらい笑わされたのに、パフォーマンスの結末にジーンとくるのは何ともずるい。

この映画の人生賛歌的な内容がお説教くさく思えないのは、チャップリンの天性の魅力と彼の映画という人生が、我々に提示しうる最も説得力のあるものだからなのかもしれない。
Ricola

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