むぎちゃ

RUN/ランのむぎちゃのネタバレレビュー・内容・結末

RUN/ラン(2020年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

サンキューワシントン大学広報担当


最初のタイトルの出し方オシャレーと思ってたけど、ちゃんとしたタイトルは最後のやつなのね。run.じゃなくてRun.だったし…。

良くも悪くも作品全体的に程よいハラハラドキドキさ。
過剰に怯えることもなくビックリもなく、割と平熱ながら「どうなるどうなる」と前のめりのまま結末を見届けることが出来た。

これもある意味ソリッドシチュエーションスリラーになるのかな?
身を削ってそのシチュエーションから抜け出したものの、その先も予断を許さない雰囲気は結構好き。「病院まで来てまだ助からんのか…」と。

さて、物語序盤にこの戦い(?)の構図がちゃんと明示されている以上、観客の興味は当然「母親は何故娘のクロエにこのような事をするのか?」になる。
終盤にクロエの出自や母親の行動原理は何となく明かされるものの、実は根本的な動機、上記の観客としての当然の疑問はちゃんと明かされていない。
母親の背中の傷など、どのように人格形成されてきたかを想像させるのはともかく、ここを「想像の余白を残す演出」に含めるのは如何なものかと。
設定された「観客が作品を観続ける動機」を一蹴しちゃってる訳でしょ?
確かに「私がいなきゃ生きられない存在に仕立て上げて共依存の関係にする」までは読み取れるものの、そもそも健常者を薬品投与であらゆる障害を持たせる必要性には程遠い。

その辺に関連した事だが、本作において父親の影を一切排除したのは気になった。
単純に考えれば母親と娘に焦点を当てたからだろうが、それでいいのか?とも。
映画は誰かの人生の一部を切り取る作業だ。
母親は相手もおらず妊娠した訳では無いし、クロエの半分は誰かの精子な訳で。
演出の都合で削ったのならまだしも、脚本の段階で全く父親の情報がないのなら正直作家の怠慢だと思う。母親と娘という構図に、父親要素を組み込む努力を怠っている。
あまりにもすんなり二人きりになっている事に、はなから考えてもないのではと勘ぐりたくなる。

ラストは「積年の恨み、はらさでおくべきか」的なオチだったけど、なんと言うか、取って付けたような…。
決して悪くは無い、悪くは無いけど、あってもなくても構わん内容だったな。
気持ちは分かるからあれはあれでいいし、とは言えなくても本当に何の問題もないって感じ。
米倉涼子主演の黒革の手帖のラストみたいだった。
みたいだったて伝わるかこんなん。

関係ないけど、最後投薬される側に回った母親の表情が、「クリムゾンキングの宮殿」みたいだったなぁ…。
むぎちゃ

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