このレビューはネタバレを含みます
02/15/2020
バン、とした鉛の扉が閉まる音。彼女たちが決して出ることのできない重くて硬い扉。その音と共に画面にあらわれる文字は、不思議なほどに鋭く胸に突きつけられる。
“Rape us here, if that’s what you want” 彼女たちの強くて、でもそこに悲痛さがあるというよりは、怒りと意思とその生活が半ば「普通」になってしまっているが故のニュートラルさを感じられる「表明」。
クモを小さな穴から逃げさせるSaria.
これをみて、ただ「グアテマラ怖いなー」という感想にはなれないし、「アメリカ=自由、優」「グアテマラ=野蛮、劣」だなんて、絶対単純に言えない。
なぜならこの状況は、グアテマラ政府だけの問題ではないから。
トイレ掃除をしているSariaが「彼女でいい」と言われるシーン。日常に組み込まれている重大犯罪。
女に戦う場はない?教室でのシーン。ひるまない彼女たち。
「女性を強くする」のではなく「女性はもともと強い」という言葉を思い出した。彼女たちは恐れを知らないのではなく、怖くてもひるまないのだ。
“Remember this as our first kiss”
彼女たちはsoldierにさせられなくたって強いけれど、soldierになるしかなくさせたのは大人たちだ。Soldierであることをいくら強要されたって、その前にまず彼女たちはティーンなのである。好きな男の子と会う前にbug bite (bugのkiss、という字幕だったが)を隠したいとそりゃあ思うのである。そしてそういう描写にどこかほっとしてしまう自分がいる。(soldierでいるだけが彼女たちのアイデンティティではないことを垣間見れる気分だから。それは彼女たちが強いられている状況を正当化することには全くならないけど)
逃げ出す日の、男子孤児院の子供たちの連帯。喧嘩をするふりをして監視員の目を引きつけ、屋上へと向かう。
ガードの女性の過去が気になった。”Boy Erased”を思い出したから。Gay Conversion 施設の長自身がゲイであったと。あの女性も、自分の傷を揉み込むように、なかったことにするように、彼女たちに暴力を振るっているようにみえたから。彼女自身が受けた暴力を正当化するように、Sariaたちに暴力を振るっているように、みえたから。