じゅ

スモール・カントリーのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

スモール・カントリー(2020年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

1993年以降にブルンジとルワンダでそれぞれ勃発したツチ族とフツ族の争いに巻き込まれた少年少女と家族たちの物語か。
世界史なんもわかんない勢なのでまたいろいろググってみないとな。


ツチ族とフツ族。社会科の類の教科書で読んだ記憶はあるこの2つの民族は、作中で描かれた通りブルンジとその北のルワンダに居住する。少数派の方がツチ族、多数派の方がフツ族。フランス人お父さんが言っていたように、国も言葉も宗教も同じ。
両国は元々王国で、支配者階級にはツチが、被支配者階級にフツが多かった。その後両王国は1889年にドイツの保護領になり、その後1922年にブルンジ王国が、1924年にルワンダ王国がベルギーの委任統治領にされた。この時、植民地支配の手段としてツチによる支配を固定化し、フツが差別的な待遇を受けるようになった。そのような背景からツチとフツは敵対する関係性に向かって行った。ベルギーによる支配は両国とも戦後1946年に信託統治になった後、1962年に独立。
JICAの『ブルンジ憲法が定めるエスニック権力分有制度の概要』とか、世界史の窓の『ルワンダ/ルワンダ内戦』のページとか、あと外務省のブルンジとルワンダの基礎データのページを見るとこんなかんじか。
ちなみに、元々両者に別の民族の意識はなかったと言われているけど、ドイツやベルギーが支配する際に見た目の違いから別の人種として区別したとのこと。
まあなんにせよ、ツチとフツの対立の土台は欧州の国が作り出したというわけか。そういえば中学校の中村先生が「うまく支配するために争いの矛先を自分たち(つまりベルギーとか)じゃないところに向けようとして、民族内で対立させた。支配した片方(つまりツチ)を厚遇すれば自分たちに文句は言わないし、もう片方(つまりフツ)を冷遇すればその不満は厚遇されている方に向くから、自分たちは難なく支配できる。」みたいな話をしてた気がする。

その後は作中で語られた通り。ブルンジでは1993年までツチが政権を維持していたが、1993年6月の大統領選でフツのンダダイエが当選。直後、件の1993年10月21日にツチ主導の軍部に暗殺された。1994年4月には次のンタリャミラ大統領が、ルワンダのハビャリマナ大統領と共に搭乗していた飛行機を撃墜されて死亡。ハビャリマナがフツ系政権の大統領だったことから、ツチを標的としたルワンダ大虐殺が始まった。その後1994年7月、ルワンダ愛国戦線(ウガンダに逃れたツチ系難民が設立した勢力)がルワンダ全土を制圧し、ひとまずはツチの虐殺は終結した。

なお、航空機撃墜で殺害されたハビャリマナ大統領とフランスのミッテラン大統領が親密であり、ミッテランの意向でフランスは1994年のルワンダでの大虐殺が発生する可能性を知りながら黙認したとされている。2021年、マクロン政権下の専門家委員会でフランスが大虐殺を黙認した責任を認める報告書を公表した。
(東京新聞『80万人犠牲のルワンダ大虐殺「フランスにも重大な責任」マクロン大統領が歴代政権で初めて認める』2021年5月24日)
ガブリエル少年のお父さんがフランス人だった意味ってここか。おまえらフランス人は何もしなかっただろ、みたいな責められ方してたもんなあ。


戻って本作の話。
作られた対立が長く続きすぎてもはやなんで争ってるのかも解らないけど、とにかく争いに巻き込まれる。お父さんになぜ争うのか聞いても誤魔化しの言葉しか返ってこないくらい、最早争いの根っこなんてとうに見失われているのに。
べつに個人的に恨みはなくてむしろ仲良くしたいと思っていても、なんなら大切な人が偶然敵対する側の者だったような場合でも、そんな個人としての感情なんて何にもならなくて、ただただ民族としての戦争の場に抗えない力で手を引かれていく。
結果、民族を超えた愛を手にしたのにその愛する人を殺された復讐をして軍法会議で死刑にされたり、銃じゃなく本を手に取ることを選んだのに同族を本当に殺したかも分かんないような人間を生きたまま焼き殺す一番残酷な役を押し付けられる。

そうなったらもう手がつけられないよなあ。やはりフランスとかどこかに流れるのが最善手か。
お母さんも望み通りとっととフランスに越してシャンゼリゼでお買い物してたら再起不能レベルの廃人にならなくて済んだのだろうか。身内が虐殺されてああなったみたいだけど、3ヶ月放置されて腐敗したその姿を見なければ多少ましだっただろうか。クリスチャンはどこへ。クリスティーンはどこへ。子供たちはどこへ...。
ギャビーは帰国して30年弱ぶりに失踪した母と再開したけど、妹のアナは帰ってきてくれるだろうか。すっかり変わってしまっていい加減少し気味の悪さも感じていた母に、教わったこともないであろうルワンダ語で「◯◯はどこへ」みたいなあれを歌えと強いられて、何も話せないのねと罵られて、コップを投げつけられて頭切ったのが最後だから、まあ帰らないかなあ。
ギャビーは母の世話をしたいというけど、相変わらずあの歌をぼそぼそと唱え続ける老いた母は、ギャビーを見て「クリスチャンなのね」と。
その場にいる限り絶対巻き込まれる争いから少し逃げ遅れたせいで、もう家族は繋がれなくなってしまったんだな。


ただ、悲しいかな共通の敵がいるという意識が危険な絆をつくってしまうこともどうやらあるみたい。
三銃士(違)だかなんたら団だかどうたらの友人たちだか、あの5人組(江戸時代のあれじゃなくて)はフランシスという少年とは犬猿の仲だった。それがある時あっさりとフランシスが仲間入りする。ギャビーは子供同士の諍い程度の気持ちでフランシスを快く思っていなかったが、ギャビーの"血の兄弟"の彼は同じツチ族だからと彼を快く仲間に引き入れる。その直前には亡き母を罵られたにも関わらず。

フランシスは仲間の輪に銃を持ち込み、毛嫌い程度だった彼らのフツへの感情を暴力的なものにまで押し上げる。仲間の1人の父を殺されたことで暴力的な感情が爆発し、犯人と断定された者へのリンチに加担する。
最終的にはもはや血の兄弟くんはギャビーよりフランシスとの方が仲良かった気がする。物語冒頭の1992年以前からギャビーとの付き合いがあって何年もの時間を共に過ごして育まれた親友同士の関係だったと想像しているけど、フランシスが持ち込んだ具体的な暴力の手段が、血の兄弟くんのフツ嫌悪も手伝って一瞬にして親友の座を奪ってしまった。


ちなみに題名の『PETITE PAYS』。
フランス語でpetiteがおなじみ「小さい」というような意味で、paysが「国」だそう。つまり「小国」という意味になるか。たしかにGoogle Mapで見たかんじ小さい。
外務省のサイトに載っていた一般情報だと、面積は2.78万平方キロメートル。北海道が8.35くらいらしいから、1/3くらいか。まあ北海道でかすぎってのもあるけど、たしかに小さい。岩手県(1.53)よりはでかい。
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