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Katalin Varga(原題)のhorahukiのレビュー・感想・評価

Katalin Varga(原題)(2009年製作の映画)
3.7
A24の新作ホラー『In Fabric』に向けて♫

ホラー界の新鋭ピーターストリックランド監督の長編デビュー作。相続財産を注ぎ込んで製作したという監督の意地を感じさせる作品。最近、同じくA24の『SAINT MAUD』の方が注目されてる感あるし、先に日本に入ってきそうだけど、日本の配給さん『In Fabric』も何とか頼みますわ…。

本作は所謂レイプリベンジムービーなんだけど、コラリーファルジャ監督の『リベンジ』のようなわかりやすいグチャドロ展開ではなく、セリフ量は少なめで、映像と音によって語るスタイルを最後まで貫くのは、次作『バーバリアンなんちゃら(覚えられない…😂)』と同様ストリックランド監督らしい。その映像や音に乗っかってくる主人公の心情は、物語が進むにつれて意味が読み取れるようになっていく上に、それと連鎖して登場する宗教モチーフにも後から遡って意図が付与されていくという観客に媚びない姿勢が好き。

トランシルバニアを舞台に、追い出された村を出て病気の母親に会いに遠い道のりをいくカタリンと10歳の息子。トランシルバニアと言えばドラキュラだけど、その要素は本作には全くない。ただし、神に反逆した者としての「悪魔」は描かれている。

ラストでモーセの十戒が出てくるのだけど、モーセが神より授かった十戒を破った主人公は旧約聖書におけるイスラエルの民のようにも思える。更には主人公だけにとどまらない牢獄的な連鎖を描くあたり、イスラエルの民が何度も契約を破ったこととリンクさせているのではないかと思った。

そして途中で何度か羊飼いが印象的に映るのだけど、決して明るいものとして描いてはおらず、暗く重いスコアとともに焦燥感を煽るような感覚を見ているものに与える。モーセは羊飼いだから、羊飼いへの罪の意識の現れ=十戒を破ることへの罪の意識を描こうとしたものなのでしょう。

狂気に飲まれた主人公は「梟たち動物が自分の周りにいてくれる」という発言をするけれどキリスト教においては梟を含めた猛禽類はいむべきものらしいので、二元論としての神に背いた者=悪魔化を表現したものではないかと思った。

とは言え本作で描くのは二元論では測ることのできない人の多面性。誰もが常に悪人ではないし、常に善人でもない。梟はむしろ良いものとされることもあるし、「最悪」から生まれてくるギフトもあるわけで、そういったモチーフにおいても本作の多面性テーマを後押ししている。

良い意味でも悪い意味でも人間ってこんなもんだよっていう優しさと辛辣さの両面をメッセージとして併せ持ち、神への不義の中で潜在的に誰もが持っている「弱さ」に対して「個」としてどう向き合うべきなのか、そしてそこから「個」として向き合うことの無意味さまでも見せ付け、救いの無い世の中の無慈悲さを強烈に余韻として残していく。イスラエルの民の範囲についての解釈は多岐にわたるようですが、仮に新約聖書的に(キリスト教圏における)全人類として考えるならば、そこが本作の根幹になっていくのでしょうね。

ルーマニアの有名な小説家ミハイルサドヴェアヌの『Baltagul』という小説をベースにしているという指摘が良くされてるので、それが原作なのかな?読んでないからわかんないけど、私は『バーバリアンなんとか』よりは断然こっちのが好き!次こそ『バーガンディー公爵』見よう!
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