JunichiOoya

なぜ君は総理大臣になれないのかのJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

1.0
作り手の大島新さんはフジテレビからスタートしたドキュメンタリー作家。『園子温という生きもの』『カレーライスを一から作る』『ぼけますから、よろしく』と、彼の関わった映画は結構見てる。ただ、一番見たい『シアトリカル唐十郎と劇団唐組の記録』は未見なのはとても悔しいけど。

大島さんと小川淳也代議士は互いのお連れ合いを通じて20年近い交流があるとのこと。そのため、映画では小川さんの初当選から今に至る流れ(それは主に選挙活動の「流れ」でもあるのだけれど)を包括的に表現することができている。まさに大島さんにしか撮れない作品だったのだろう。

映画を見ながら、一人の代議士の政治心情云々ということではなくて、日本の選挙制度のアホらしさをひたすら感じていた。だからまあ、見てる間ずっと不愉快だった。

小川さんは(というか彼に限らず政治家を生業とする人は皆)日本の制度の中=政党政治の枠組みの中で選挙に勝ち、自らを表現しようと躍起になっている。この映画が捉えた17年間も一貫してずうっと。

それって、(少なくとも)私には訴えるものは一切無かったなあ。

前原さんや玉木さん、小池さん、そして何より平井卓也さんとの関係性だけが彼のアイデンティティで、彼が何度も口にする個人としての信条なんてどこにも見えない。だから結局は立民無所属フォーラムなんていう意味不明の立ち位置に至ってしまう。
まあ、その伝で言えばそんな小川さんと、選挙のたびにそれなりに「接戦」してしまう平井さんもおめでたいなあ、とは思いますが。

小川淳也さんは、「選挙に勝つ」ためだけにクルクルと所属政党を変節し、そのことを総括しないままに代議士を続けている。無所属として立たないのか? との問いには「無所属になった瞬間から議員としてやれることは極端に減ってしまうんですよ」と泣を入れる始末。じゃあ、蓮舫、前原、玉木、枝野といった面々との関係性にあなたはどう落とし前をつけて、つまり「昨日までの私と今の私はどこがどう違って、だから今の私はこうなんです」を言わずして、何故「政党人」として議員活動を続けられるんですか? と。

家族たちの訳の分からない浪花節語りにもたじろぐばかり。あなた方は(それぞれの葛藤はあったにせよ)結局は政治家の係累であることを受け入れた、その覚悟が必要なんですよ。

映画の公式ホームページを拝見すると小川淳也さんは「私は取材には協力しましたが、映画の制作には一切関わっていません。観てもいません。」と仰る。
この期に及んで、何でそんな逃げを打つんですか? 一体どなたに忖度なさってるんですか? と申し上げたい。
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