古川智教

水を抱く女の古川智教のネタバレレビュー・内容・結末

水を抱く女(2020年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「愛した男に裏切られたときには、その男を殺して水に還られなければならない」
これが水の精であるウンディーネにかけられた呪い=宿命であるとして、なぜヨハネスだけが水の中で殺されて、ウンディーネが水に還った後だとはいえ、別の女を妊娠させて幸せに暮らそうとしていることで結果的にウンディーネを裏切ったことになるクリストフが殺されずに済んだのか、水の中から潜水夫の像を持ち帰ることができたのかが問われなければならない。真の愛か、そうでないかが問題なのだろうか。もし、ヨハネスとの愛が真の愛ではなかったならば、そもそもヨハネスは殺される必要はなかったのではないか。ヨハネスとの愛もまた真の愛だったのであれば、クリストフもまた水の中に引き摺り込まれて殺されなければならなかったのではないか。ここではウンディーネの呪い=宿命の意味の変遷を見ていくことで、明らかになっていくことがある。まるでベルリンという都市の変遷を聴衆に向けて語るウンディーネの魅惑的な言葉のように。

まず、本来であれば、ウンディーネはカフェで別れ話を切り出し、ウンディーネを裏切ったヨハネスをヨハネスがウンディーネを待たずに立ち去った時点で殺さなければならなかったはずだ。それが証拠にカフェのトイレの洗面台の蛇口からは水が流れ続け、水槽の中からはウンディーネと呼びかける幻聴の声が発せられることで、ヨハネスを殺した後は水に還ってくるようにと促すような暗示がかけられている。呪い=宿命にとって予想外だったのはクリストフがウンディーネに話しかけたことであり、そのためにウンディーネに対する暗示が解かれる。そして、クリストフの思わぬ後退りが水槽のガラスを割って、暗示のみならず、現実における呪い=宿命が破壊されて消失したとウンディーネに思い込ませるきっかけを作り出している。ウンディーネはクリストフを愛し、クリストフとの愛が真の愛であると思うことで、自らにかけられた呪い=宿命を忘れ、呪い=宿命から逃げ出し、そもそも呪い=宿命などはじめからなかったことのようにして、クリストフとの愛に耽るようになっていく。呪い=宿命に対する忘却と逃走、これが第一の契機である。

第二の契機は呪い=宿命の受諾である。クリストフが潜水中の事故で脳死状態になったのは、呪い=宿命を忌避してしまったからだとウンディーネが自覚し、クリストフと出会う前に完遂すべきであったヨハネスの殺害および水への帰還を果たしていく場面がそうだ。呪い=宿命を受け入れることで、脳死状態のクリストフが奇跡的に意識を取り戻す。

第三の契機は呪い=宿命の受諾がなかったならば、起こり得なかったことだ。ウンディーネの失踪から二年後、クリストフが潜水中に水の精と化したウンディーネの手がクリストフの手に重ねられ、一瞬ではあるがウンディーネとクリストフが再会する。そして、その夜、クリストフは現在の恋人をホテルに置いて、ウンディーネが住う湖へと出掛けていく。ヨハネスのときとの違いはクリストフが自らの意志でウンディーネに殺されてもいいと思っていることだ。ウンディーネの住う水に還っていきたいと思っている。だが、クリストフは湖の上にかかる橋に異変に気づいて来ていた現在の恋人の元に帰還する。ウンディーネから手渡された潜水夫の像を持ち帰って。そう、これは呪い=宿命に対する拒否である。しかし、呪い=宿命に対する忘却と逃走、その次に呪い=宿命に対する受諾の経過を辿らなければ、この拒否がなし得なかったことが重要なのだ。

溝口健二の「山椒大夫」を思い起こそう。誘拐され、奴隷として暮らすうちに山椒大夫の言いなりになっている厨子王、つまり呪い=宿命に対する忘却と逃走の第一の契機。香川京子演じる安寿が兄の厨子王を山椒大夫の奴隷生活から逃げ出させるために呪い=宿命を受け入れて、湖で入水自殺(ウンディーネの入水との構図の一致)をする第二の契機。そして、改心した厨子王が山椒大夫の奴隷を解放し、改革を成し遂げる、呪い=宿命に対する拒否の第三の契機。最後は行き別れた母を探し出し、母から託された仏像(クリストフの持ち帰った潜水夫の像との一致)を母に手渡して再会を果たす。「水を抱く女」は物語は全く違えども、「山椒大夫」の呪い=宿命の経過と同じ道を辿っている。

つまり、こういうことだ。ウンディーネの語るベルリンの都市の歴史に呪い=宿命の辿る三つの契機を当て嵌めて考えてみるべきだろう。東西分断時のドイツの都市計画とその実態がナチスドイツと敗戦から至る呪い=宿命を受け入れきれず、忘却と逃走を試みていた歴史を語り、呪い=宿命を受諾すること。受諾した上でしかなし得ない呪い=宿命に対する明確な拒否を示して、新しい道に踏み出すこと。
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