幽斎

DAU. ナターシャの幽斎のレビュー・感想・評価

DAU. ナターシャ(2020年製作の映画)
4.6
本年最後にレビューするのは、コチラ!。恒例のシリーズ時系列。
2020年 4.6 DAU. Natasha 本作、上映時間2h19m
2020年   DAU. Degeneratsiya 邦題「後退」上映時間6h9m←注目!(笑)
2020年  DAU. Nora Mother 1h 27m
2020年  DAU. Tri diya 1h 44m
2020年  DAU. The Empire TVミニシリーズ
2020年  DAU. Smelye ludi 2h 33m
2020年  DAU. Teoriya strun 2h 49m
2020年  DAU. Nikita Tanya 1h 33m
2020年  DAU. Katya Tanya 1h 43m
2020年  DAU. New Man 1h 39m
2020年  DAU. Sasha Valera
2020年  DAU. Conformists
2020年  DAU. Nora Son 
更に3本のTVミニシリーズ待機中

「史上最狂」ベルリン映画祭銀熊賞で世界中で賛否を巻き起こした世紀の問題作。製作期間15年、オーディション40万人、衣装4万着、主要キャスト400人、エキストラ1万人、35mmフィルム700時間、欧州史上最大のセットは、西武ドームと同等の広さ。映画の枠を超えたソ連全体主義を完全再現する狂気のプロジェクトは、過激なヴァイオレンスとエロスで各国で物議を醸し、異次元レベルのハイセンスな芸術性が高く評価された。京都のミニシアター、出町座で鑑賞。

書いてもピン!と来ないと思うので、説明するより見て頂くしか無いが、予めお断りだが「あー、面白かった」で無い事は、薄々お分かり頂けると思う。こんな無謀な映画、誰が作ったか語る前に、誰が資金を出したか知りたいと思いませんか?。DAU-projectは、映画、芸術、人類学の交差点と言う学際的プロジェクトの一環。ウクライナとドイツの制作会社で進められ、内容に驚愕してイギリスも参加。ウクライナ文化省から協賛は得たが、誤った政治的メッセージを生むとして、ロシア政府の援助は全て返金した。

主導的役割を果たしたのが、ロシアを代表する実業家で慈善家Serguei Adoniev。彼は果物の輸入会社で財を成し、その資金で電気通信事業に参入。ロシアでwimaxを発売した最初のプロバイダー。その後は不動産とアグリビジネスを展開、潤沢な資金で慈善財団オストロバを設立。此処からドイツとの関係が深くなり、本作に繋がる。彼が後援する事で、監督は思い切りが過ぎる作品に着手する。

Ilya Khrzhanovskiy監督とYekaterina Oertel監督の共作。メインはKhrzhanovskiy監督で、デビュー作「Ostanovka」散々な出来だが、続く「4」で国際的に注目を浴びる。その勢いでノーベル賞受賞者のユダヤ系理論物理学者、Lev Landauの伝記映画を製作するプランを立てる。名前のLandauからタイトル「DAU」に成った。Oertel監督は、メイクアップとヘアデザイン担当から演出に助言。出演者は演技経験のないノービスで、全てオーディションで選ばれた。ナターシャ役Natalia Berezhnayaも素人で、スーパーで働いてた所をスカウトされた。アジッポ役Vladimir Azhippoは、元KGB職員で即採用。時系列を見て下さい。生きてる内に全て日本で観れるのか甚だ疑問。

国家的なプロジェクトだが、規模に反比例して中身は驚く程にミニマルで、ド派手なシーンは一切ない。時系列で挙げた作品は全て完成、本作だけを論じても断片の一部でしかない。アメリカでは、撮影の倫理観や道徳観が激しく議論されたが、ハリウッドなら人権侵害で一発アウト。実際に撮影中に結婚したり出産したりする人も居た。日本ではR18+指定だが、それも当然でカップルやご夫婦で観る事を、私はお薦めしない。だが、壮大なクリエイティブを目撃するチャンスを逃すのも、惜しいと思いませんか?。

演出で際立つのは「即興芝居」性暴力シーンで物議を醸したが、当然だが台本は有り、編集もされてるが、監督の演技指導は最小限に抑えてる。映画のセットではなく、生活空間を作った事で出演者は生活を「演じる」のではなく、ありふれた日常を生み出す。其処で「生活」する事で得られる体験が、見る私達も、リアルさを持って感じる。2021年の現代で、1950年代のソビエト連邦の「空気感」を共有。映画を見るのでなく。体験してると言った方が分り易い。その没入感こそ、逆に映画とも言える。

日本人の私達は社会主義と共産主義の違いが実はよく分らない。国政政党として社民党や共産党が有るにも関わらず、私もハッキリと説明できない。しかし、ぼんやりと窮屈な生活なんだろう位は、今まで観た映画でイメージ出来る。本作に漂うのは、その「閉塞感」に尽きる。共産主義が監視社会、密告社会と言うのは頭では理解してるが、此処までリアルに描かれるのは極めて稀。酒でも飲まないとヤッてられないのは、古今東西同じでも、彼らは息を潜める生活を強いられる中で、平常心を保とうと精一杯の努力をしてる。

ソビエト連邦の秘密研究所のカフェで、ナターシャとオーリャの2人がウェイトレスとして働いてる。ナターシャがオーリャの若さに嫉妬するのは、どの会社でもあるお局様問題だが、本作はそんな悠長な話ではなく、監視社会の中で加齢と共に感じる将来への不安と焦燥。自分の将来に不安を抱えるのは、私達も同じですが根源に有るのは、日々の鬱憤の積み重ねでは無いでしょうか?。長回しのシーンが象徴する、行き場のない閉塞感で気が狂うのも有りかなと思える感情の先で、人生すら馬鹿々々しくなる。ナターシャに訪れる後の展開は目を背けるばかりだが、其処には生きる事の「生々しさ」それで失う人格否定は、ソビエトの何が許されない過去なのか、観客の喉元に刃の様に突き付けられる。

KGB、スパイとか興味が無い人でも聞いた事は有ると思います。イギリスのMI-6やアメリカのCIAと最も違うのは「拷問」。彼らはロシアが得意とする行動心理学に長けており、暴力や薬で情報を吐かせるのではなく、尋問を行い対象者の性格を把握してから、心理的に追い詰める。具体的には「人としての尊厳」の破壊。人は肉体的苦痛には耐えられる。イザと成れば自死も出来る。だが、心にダメージを与え続ける事には耐えられないと、京都で心療内科を開業してる友人から聞いた事が有る。貴方が途中で再生を止めても、何の不思議も有りません。

私は人は「性」が根源だと思ってます。本作でも恋愛が自由に出来ない事が、全体主義へのアンチテーゼの様に描かれる。スターリニズムを批判する象徴として、ナターシャのセックス・シーンが描かれた。全体主義に背反する自由恋愛の存在・・・と言うロジックでレビューを締め括ろうと思ったが、鑑賞後ある友人から興味深い話を聞いた。

「Asexual」アセクシュアルと言う言葉をご存じだろうか?。または「Aromantic」アロマンティックも含めて。前者は他者に対して性的欲求を抱かない、後者は他人に恋愛感情を感じない。私の様に美人を見て興奮するのが「セックス・アトラクション」(笑)。最新のアメリカのミステリー小説で、この様なフレーズが度々散見される。日本では「無性愛」と一括りにする事が多いが、この視点から見れば本作の言う「解放」は、享受し難いと言える。彼らから見れば、その考えこそがマジョリティ。固定観念は常に時代と共に流動的、なのかもしれない。

日々の生活に孕む絶望を雄弁に語る壮大な実験。いつ自分も巻き込まれるか何の保障も無い。
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