海

セイント・フランシスの海のレビュー・感想・評価

セイント・フランシス(2019年製作の映画)
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わたしが傷だらけであることが、わたしが疲れ切っていることが、わたしがもう後戻りなんてできないことが、今までずっと何でもないことで、これからもずっと何でもないことでありつづけるみたいに、照らし出される日がある。そういう日のことをずっと考えていた。だれもをそういうふうに照らしつづける力を持つ映画だと心から思えた。これを観た日の午後のことは、本当に奇跡みたいだった。映画の中を渡っていく光や風がわたしの部屋にあり、映画の中で生きているひとの言葉や表情がわたしのすぐ目の前にあった。映画がわたしをすくっていることは誰よりもいちばんわたしがわかっていると心からおもいながら、背中にくっついて猫が眠っていて、温かくて、それだけで十分に生きている理由でわたしの人生の意味だと信じきれた。その温かさと安心の中で、危険なことが何一つない中で、本当に、信じられないほど泣いた。それは、誰が見たってきっとわかるほどフランシスが放っていた圧倒的なその光のせいだったし、おとなの女性たちが自分の体にかかっている負荷やそれに対する誰かの視線を我慢しつづけてきて傷つきつづけてきてもう限界だっていうところをこえてもなお生きていることのその強さのせいだったし、彼女たちを本当に大切にしたくて大切にする方法をさぐっているすべてのひとたちのその優しさのせいだった。コメディといわれているこの作品に、一度もそういった目線で笑うことはなくて、わたしが笑ったのは、彼女たちが画面の向こうでわたしに笑いかけていると思ったからだった。話しかけられていると思えたからだった。映画を受け容れていくことは、わたしにとって、誰かの置かれている状況や誰かの持っている思想、感情を知ることというよりは、それを通して自分が今何を考えているのかを知ることだと思う。自分について語ることが、語るべきことがあることが、どんなに大切なのか、わたしはこの映画にあらためて教わることになった。書いたり表現をすることが自分を特別にしてくれるとは思わなくて、認められることに期待もしていなくて、ただ、書いてきたことは、表現してきたことは、かならずいつか誰かのもとへ届いて、誰かの真っ暗な夜の海を照らす灯台のようになるのだということをわたしは、知っている。わたしがずっとそれを見つけすくわれて生きてきたのだから間違いない。わたしもいつか光になる。わたしもあなたもいつか光。生きよう、何者にもならなくていい
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