ヨミ

DAU. 退行のヨミのネタバレレビュー・内容・結末

DAU. 退行(2020年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

6時間の果ては不快に満ちた地獄でした。
ここまで映画に攻撃されたと感じたのは初めての経験だった。「観客に襲い掛かる映画」としては、『アンダルシアの犬』(1929)が有名ではあるが、怖くて観ていないので……。
映画を観てダメージを明確に受けたのは『ゲティ家の身代金』(2017)の耳切断シーンだった。映画館で視界が真っ白になり動悸が激しく、数分記憶が飛んだのを覚えている。
最初は柳下毅一郎が2021の1本として取り上げていたことと、「6時間の映画観たって話のネタになるだろ」という動機だった。『サタンタンゴ』(1994 こちらは7時間越え)を逃したっていう負い目もあったし。そもそも、「ソ連を再現して、数年間、ひとを住まわせた状態で映画を撮影する」ってのも意味不明で狂気に満ち満ちている。

前半はダメな大人たちが享楽(だいたい酒とタバコと音楽とセックス)に耽り、責任者交代によって軽い粛清が始まるようになる。ここは前作『ナターシャ』と同じく、全員の情緒がヤバい。前作鑑賞時は本当に意味不明だったが、高橋ヨシキ『ニュー・シネマ・インフェルノ』での前作評(館内に掲示されていた)を読んだらなんとなくわかった。心身ともに自由を取り上げられた人間は本当に限界を迎えるのだ。絶え間ないストレスに晒されながら、解消しようと享楽に溺れて、そして笑って怒り、泣き喚く。それしか残されていない。

今作では更に監視は強まり、そして問題の「マチスモ塗れの白人至上・差別主義者かつ優生思想のいじめっ子体育会系」が出てくると地獄の様相が顕著となる。
地獄からの同居人として食卓を荒らし、あらゆるものを侵犯していく。それこそ、私有財産制を嘲笑うかのように。そこで立ち上がるのは女たちだけだった。科学者の、壮年の男性たちはじっとうずくまったり、苦虫を噛み潰したような表情で食器を眺める。彼らもホモソ的全体主義下のひとりにすぎない。粗暴で筋肉隆々の白人青年に立ち向かえない。
後半からの差別主義、優生思想全開でひたすらに気分が悪いが、「豚小屋」で不快感がピークに達する。そこからの怒涛のシークエンスは最早ふさわしい成り行きとしか思えなかった。はやくタランティーノを呼んでくれ! こいつらの頭蓋をぶっ飛ばしてくれ!とずっと思っていました……。

「退行」は情報の自由化を果たしたのちのソ連が21世紀に迎えるナショナリズムの台頭だと説明される。そこでは根拠なき愛国心が革命を妨げると危惧される。科学者の予想を裏切り、「退行」は既に始まっていた。所長が「ヒトラー主義にならないか」と言った思想を体現した連中が全てを破壊する。舞台は1968年であるが、その思想はそこから20年以上前のものだ。
そして同時にそれが現在の話をしていることも明白だ。「退行」は始まっている。

異常な世界の異常な精神がある。傍若無人な振る舞いや殺戮があっても、数分後に音楽とともに踊り出したりセックスに興じる、「喉元過ぎれば」の世界。ストレスの過負荷、監視制度、全体主義体制がこれを招くのかと恐ろしくなる。そしてそれを実現した異常な施設。
実際に「ソ連」を再現する必要があったのだろうか。キューブリックが『シャイニング』(1980)で何十回もリテイクを出し、俳優を追い詰めて精神的に窮まった演技を引き出したという逸話(完全にハラスメントだが)は有名だが、その究極系と言える。映画は虚構を記録できるのに、ここまできたらもう虚構ではないよ。
ヨミ

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